2009年11月09日

「タバコ算」について

「タバコ算」について
                  大阪珠算史編纂室委員  村上浩一
◇ はじめに
「タバコ算」という名を初めて目にしたのは、もう二十年も前になりますか。
どうしてこの名称がつけられたのか疑問のままに年月が過ぎたのであります。それが、つい最近になって、ある古書(後述)を入手し、少しキッカケが見えてきました。
 そこで、より正確を期するために、七月下旬J T関西営業本部にお客様相談室の谷川正美氏を訪ね「タバコ算」についてお尋ねしました。
 その後、「タバコと塩の博物館」の元館長 奥田雅瑞氏を紹介していただきまして、奥田先生お手持ちの資料を頂戴し、種々お教えいただきました。その上、当誌への投稿のご依頼を置けました。
 浅学のため、不十分ですが、誌上を汚させていただきます。
 「タバコ算」に入る前に、先ず、日本の数学:和算について述べさせていただきます。

◇ 数学も渡来文化
 日本では、宗教から文字や稲作にいたるまで、文化という文化は渡来文化であるといっても過言ではないと思います。その移入したものを日本の風土に合うように改良を加えて、スバラシイものに育てあげていったのであります。これは日本人の潜在能力というか特質の一つといえます、
 数学もご多分にもれず、外国からの移入に頼って発達してきました。それも三回にわたって伝来したのであります。

◇ 数学の伝来……第一期
 第一期は、奈良時代に中国からであって、「九九」と「算木」「暦」が伝えられました。
 九九はもちろんよくご存知の「かけざんの九九」でありまして、『万葉集』の中にもこの九九が見られるのであります。
 例えば、
    巻11(2542)
  若草乃 新手枕乎 巻始而     ワカクサノ ニイタマクラヲ マキソメテ
  夜哉将間 二八十一不在国     ヨヤヘダテム ニ クク アラナクニ
 この他に、二二と書いて「シ」と読んだり、二五を「トオ」、十六を「シシ」、三五月と書いて(十五月)「モチ月」などと読ませております。このことは、当時すでに一般の人々の間にまで、広く深く九九が浸透し、当然の知識であったと思われるのであります。
 もう一つの「算木」というのは計算の用具でありまして、大きさはいろいろあるのですが、ごく一般的のものとしては、幅が5〜7o、長さは4〜5p程度で、丁度現在の紙巻タバコを少し短くして角柱状にしたものを「算盤(サンバン)」と呼ばれる盤(日本では新聞紙一面大の厚手の和紙)の上に、縦・横にならべて計算するもので、初期は竹で作られて(竹策といった)いたが、木製の算木へと変革されてゆきました。
 日本で現存する最古のものといわれる算木は、「奈良の大仏」で有名な東大寺に残されていて、関西では春を呼ぶ行事として知られている「二月堂の修二会(シュニエ)」、俗にいう「奈良のお水取り」の際に、浄財の分配の計算に用いられているそうで、鎌倉時代のそのままに、言葉やしぐさが伝えられていて、現在でも形式的に算木を並べていると聞いております。
 この奈良時代に伝来した数学も形式や制度・伝統という名ばかりが伝わって、「足利氏の時に及んで、除法を知る者はほとんどまれなり……」といわれるように、数学としての発展はなんら見られず、むしろ衰退の一途をたどるばかりであったといえます。そんな中で第二期を迎えることになります。

◇ 数学の伝来……第二期
 第一期が格別の開花もないままに終ったのに対して、第二期と第三期の数学は、目をみはるような発展を遂げました。第二期は≪信長≫の頃であり、第三期は明治五年(1862)の学制頒布の前後で、西洋数学を採り入れて今日の近代数学に至るのであります。
 さて、第二期の移入もやはり、「中国数学」で、十六世紀の中頃に、長崎や堺の貿易商人を通して、いくつかの算書が舶来し、「ソロバン」と「割り声」が伝わりました。
 「算木」に代わる計算用具として伝えられたソロバンは、上の玉が2顆、下の玉が5顆のソロバンで(玉の数については後述)、日本では、現在(上1顆、下4顆)のように合理的な形に改良されてきましたが、中国・台湾や中近東では今でもそのままの形のソロバンが多く使用されております。
 割り声とは、割算の九九のことでありまして、五十歳代以上の方なら、一度ならず耳にされたことがあるでしょう「二一天作ノ五」(二イチテンサクノゴ)「三進一十」(サッチンインジュ)などのことでありまして、昭和二十年代末まではソロバン学習でこの九九が使われていて、「帰除法」(現在の一般的な方法は筆算と同じ「商除法」)といいます。「二進(ニッチ)も三進(サッチ)もゆかない」という言葉はその名残であるといえます。

◇ 脅威の発展をとげた「和算」
「ソロバン」と「割り声」は、日本の数学を革命的な発展に導きました。
寛永四年(1627)に、吉田光由の手で上梓された『塵劫記』は、
 数の名称(整数は万億兆から無量大数までの72けた。小数は分厘毛から埃まで)
 九九、割り声、乗算・除算の計算法。米の売買、両替、利足(息)などの日用計算。ねずみ算、まま子立て、百五減算、目付字などの数学遊戯。 
などを含めた内容のものが著されて、ベストセラーとなり、明治初年までに版を重ね、類書が400種以上も出版されて、「ジンコウ」といえば数学の代名詞ともなったほどであります。
 このことは、庶民が活力にみちた生活の中で、いかに算術を必要としていたかを、端的に物語るものであるといえるでしょう。
 その後、幸か不幸か鎖国によって、外国からの影響を全く受けることがなく、わが国独特の発達をして、関 孝和(1640?〜1708)の頃を頂点に、明治の西洋数学の移入に至る約300年間にわたって発展し続けたのであります。この日本固有の数学を明治になって『和算』といって、西洋数学と区別して呼びました。

◇ 世界に比肩する「高等数学」
 関 孝和は、和算史上の第一人者といわれ、ライプニッツの行列式を初めとして、ホーナーの方法(1元16次方程式)、ニュートンの近似解法(補間公式)、ベルヌーイの数の発見など、その業績はあまりにも多くそして偉大であります。
 また、彼の弟子や他の流派の多くの和算家達が活躍して、西洋の「微・積分」に該当する「円理」、π(パイ・円周率)の値の公式、独創的な対数表、マクローリンの級数展開式など、質・量ともに高度な発展を遂げて、分野によっては、同時代の世界の数学より早期発見であったり、全体としても勝るとも劣らないまでに達していたのであります。
 明治33年(1900)パリで開かれた≪万国数学会議≫で、極東の小さな島国の、明治維新によってやっと世界の仲間入りをしたばかりのこの国に、西洋とは全く異なった、それも高度な数学の存在を初めて知って、世界の数学者は驚嘆したのであります。
 日本人の特質ともいえる「識字能力」と、ソロバンにより培った「数感覚」が、また、「和算」の高度な発達が、明治維新によって怒涛のごとく押し寄せてきた西洋文明を、難なく摂取し消化して、その後現在の先端技術の開発や経済発展への原動力となったのであります。

◇ 「タバコ算」とは
前置きが長くなりましたが、タバコ算について述べたいと思います。
ソロバンの算法解説書に『明解珠算要訣』(初版・昭和8年発行・川村貫治著)という本がありまして、戦前の珠算研究者のバイブルとして評判の書でありました。
その中に「タバコ算」という項目があり、その説明はあるのですが、短くて、
『1から9までの数を16で除した数の九九のこと。 一退六二五、二・一二五、三・一八七五、四・二五、五・三一二五、六・三七五、七・四三七五、八刷五、九・五六二五、のことをいう。」 とありました。
 この九九については、今までに幾度かいろいろな本で目にしたことがありました。
 中国では、古代の漢書『律暦志』から今日にいたるまで、1斤=16両という重量の単位が使われてきました。これが先に述べました、中国のソロバンが「上の玉2顆、下の玉5顆」という形である根拠(1けたに15までおけるものがほしかった)ともいわれております。
 したがって、16で掛けたり・割ったりすることが頻繁に行われて、必然的に16で割る場合の「九九」が発生したものと思われます。
 この16での割算の九九は、中国では『日用算法』(1262年・楊輝著)に初めて「斤下留法」としてみられます。一方、和算書では「小一斤声」といって、現存最古の和算書といわれる『算用記』(1600年頃?・著者不詳)や『割算書』(1622年・毛利重能著)などに見えるのでありますが、この九九とタバコとがどうしても結びつかないのであります。
  『煙草屋の娘』(昭和12年発売レコード)という歌がありました。
     ♪#♭〜 向こう横丁の タバコ屋の
          可愛い 看板娘
          歳は十八 番茶も出花
          いとし じゃないか
 この歌の、タバコ屋の娘の年齢は18歳であって、16とは無関係でありました。
 本の著者も鬼籍の人であり、いく人かの方々にお尋ねもしましたが、疑問のままに年月が過ぎました。

◇ 貫目を斤量に……1斤=160匁
その後、古書店から『珠算精義』(大正2年、玉置哲二・石橋梅吉共著)という本を入手しました。その中に「タバコ算」のことがみつかり、永年の胸のつかえがとれました。

◇ 貫目を斤量になおすこと
「この方法は古来煙草算といって、煙草問屋に多く使用せられた方法である。近時でも鉄道に貨物を託送する場合など至極簡単なることは云うまでもなく、其の他十六で割る除法には何にでも適用される……略」
とあって、前述の≪九九≫を示し、その計算方法が図によって解説されておりました。
  不勉強の私は、その時にして初めて、タバコの取引単位に「斤目」が使用されて、種々の斤目のうち、1斤=160匁が使われていたことを知ったのであります。

◇ 和算の中の「タバコ算」
  前にも述べましたとおり、16で割る時の九九は、中国や日本の算書に多く見られるのでありますが、タバコという項目が見えるものをいくつか挙げてみることにします。不十分な調べであることをご容赦ください。
1.『初商 増補 算法初心鈔大成 全』(寛延3・1750年、田中友水著)
    「煙草乃うりかい」
  一、煙草壱斤 壱匁三分がへ 六斤八分の代銀を問
       答云 八匁八分四厘
       術云 六斤八分に壱匁三分をかくる也
             6.8斤×1.3匁=8.84匁  
  一、同 弐拾三斤半にて 三拾七匁六分なり 壱斤は何程
       答云 壱匁六分
       術云 三拾七匁六分を廿三斤半にて割也
             37.6匁÷23.5=1.6匁
  一、同 壱斤壱匁弐分の煙草 壱貫匁あり 代銀を問
       答云 七匁五分
       術云 壱貫匁を百六拾匁にて割れば 六斤弐分五厘と成に壱匁弐分をかくる也 
             1貫=1,000匁 
             1,000匁÷160=6.25斤  1.2匁×6.25=7.5匁 
2.『算学稽古大全』(文化5・1808年、松岡良助能一著)
    「たばこの部」
・たばこ 壱斤代銀壱匁三分にして 六斤八分代銀を問
       答曰 八匁八分四厘
       術曰 壱匁三分に六斤八分をかけるなり
・ 弐十三斤半の代銀三拾七匁にして 壱斤代銀を問
    答曰 壱匁六分
    術曰 三拾七匁六分を 二十三斤半に割なり
 ◎この2問は、『算法初心鈔大成』と同じである。 
・ たばこ 三貫四百五拾目 此斤数を問
    答曰 二十壱斤半 外に十匁
    術曰 三貫四百五十目を 壱斤の百六十目にて 半斤まで割なり
          3,450匁÷160=21.5斤あまり10匁 
 ◎この百六十での割算を前述の九九を使って計算をした。
  後にこの計算を「タバコ算」といった。
3.『改補 算学備要大成』(安政3・1856年、佐々木定保著)
    「煙草之部」
         山目斤 二百目
       壱斤 
      通用斤 百六十目
    附 百六十斤 早割呼声(はやわりこえ) 
……九九(略)……
譬(たとえ)ば一貫目あれば一退六二五といふて此一貫目を払ひ一桁退て右のけたより六二五と置なり、二貫目あれば二一二五といふてこの二貫目を一に作り右の桁より下へ二五と置 六二五は乃(すなわち)六斤二分五厘 一二五は十二斤五分なり又曰二より九にいたりては三を一 四を二 五を三 六を三 七を四 八を五 九を五に作り余声(あまるこえ)はつぎのけたより下へ置なり
 ……四問(略)……
4.『算法通書』上 (嘉永7・1854年、古谷定吉通生編)
    「多葉粉」
     ……二問(略)……
     今 多葉粉一斤の代銭 三百六十四文にして銭百三十六文に多葉粉 何程と問
      但し 一斤の懸目百六十目
       答  多葉粉懸目六十目
       術曰 多葉粉一斤の代銭三百六十四文を置 百文以上定法九分六厘を懸
          調銭三百五十二文と成 是を法とす
          銭百三十六文を置 百文の目銭(口銭?)四文を引 調銭百三十二文と成 是へ一斤の懸目百六十目を懸 二十一貫百二十目と成 是を法にて割 多葉粉懸目六十目と知るなり 
             300文×0.96+64文=352文(調銭)
             100文×0.96+36文=132文(調銭)
             132文×160=21,120
          21,120目÷352=60目 
      ◎銭高と丁銭(調銭)
銭貨では、九十六文(銭)をもって百文とし、百文の十倍を一貫文と呼んでいた。したがって銭貨の計算では、銭高を銭単位に直す必要があり、これを丁銭(調銭)という。
  例えば、銭高百五十文は丁銭に直して九十六文と五十文で百四十六文となる。
 「寛永十四年、金銀銭通貨の比較を定む。乃ち金一両、銀五十匁(銭俗に匁という)京銭四貫、永銭(永楽銭)一貫匁みな同位とす。さきに慶長十三年、永銭の通用を禁ぜし以来、民間相互代換するに当て京銭に換う。
 その減去する一文を口銭と謂う。永銭一文は京銭四文に当るが故に、京銭百文に値するものは実際九十六文となれり、永楽銭すでに尽くるの後も、この習慣脱せず、永く九十六文を以て百文と謂う。」≪増修日本数学史≫

5.『算法新書』(文政13.1830年、千葉雄七胤秀著)……二問(略)……

6.『摘要算法』(弘化2・1854年、菅原忠貴著)
       「田葉粉売買」……十一問(略)……    
7.『算法通解大全』(明治?、高橋増次郎編)……四問(略)……

8.『長野県史』4(三)巻(天保8・1837年)
  ◎これは、この「たばこ史研究」の発行責任者・奥田雅瑞先生よりいただいた資料です。≪飯田市久米 坂井三枝子氏所蔵より≫
    莨(たばこ)勘定
  一、煙草三駄 代五両 是ハ百匁代何程ト問
     三駄目方八拾四貫ヲ目安ニ置 天元ヲ割ハ壱々九ト成
答 三分五厘七毛
     術ニ曰、壱々九ヲ目安ニ置、5両ヲ銀ニシテ実ニ置、懸レハ知ル。
             三駄=84貫=84,000匁
             一両=銀60匁
             五両=60匁×5=銀300匁
             銀300匁×100匁 ÷ 84,000匁=0.357
* 100÷84=1.19
   1.19×300=357
   ◎用語の説明
    天元術:算木を利用して方程式を解く法。
    天元ヲ割バ:未知数]として、この場合は八十四で割れば、
    目安:乗(除)算において乗(除)数をいって、「法」ともいう。
    実:乗(除)算において被乗(除)数をいう。
             ……五問(略)……

以上、煙草の計算について述べましたが、いつ頃から「タバコ算」といわれりようになったのか不明です。今後も調査を続けたいと思っております。

◇ おわりに
数学移入第二期の十六世紀には、タバコを初めとして、鉄砲(1543年)、時計(1550)など数多くのものが伝えられました。
そのいずれもが、伝来後あまり歳月を経ることなく、みごとに消化し、改良を加えていったのであります。再度述べますが、一般庶民が、教養として、数学らしい数学を手にしたのは、日本では江戸時代初期であって、西洋諸国より約200年早かったという事実は、日本が世界に誇ることのできるものの一つであろうと思います。
     

≪『たばこ史研究』No.44≫(平成5年5月20日)所載
  
posted by そろまんが at 19:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月07日

「割算の九九」(割り声)について

割算の九九」(割り声)について
村 上 耕 一

0.はじめに
平成17年9月京都で日本数学協会近畿支部結成集会が開かれました.
その記念講演で,日本数学協会の田村一夫副会長が「割算の九九の実技」を見事に見せてくださいました.
日頃珠算教育にたずさわっている私たちですが,過去のものとなった「割算の九九」については,知らない指導者が増えているのが現状です.
そのような時にその活用を実地に示していただき今更ながら驚きとともに,先人の知恵を目の辺りにして感慨無量でありました.
その田村先生から「実技は見てもらったので,歴史などについてはあなたに任せる」といわれましたので,不十分ではありますがまとめてみました.

1.「九九」について
 中国ではすでに三千年以上前に「かけ算の九九」があったといわれ,敦煌の出土品をはじめ居延や楼蘭でも九九の表がみつかっています.
 日本でも970年に著された『口遊(くちずさみ)』が残っていて,そのどれもが「九九八十一」から始まっているので「九九」といわれるようになったようです.
 ところが,中国からソロバンと同時代に伝わった数学書『算法統宗』(1592・程大位)にでている「斤下留法という,16で割る九九」,そして江戸時代の日本で研究された「飛帰といわれる,金44(銀43)で割る九九」,「開平に使用する,半九九」とか,現在でも初心者用として使用している「足し算の九九」や「引き算の九九」などいろいろな「九九」が考え出されました.
 しかし,本来「九九」といえば「かけ算の九九」のみを指す言葉なのです.
 したがって日本では,「九九」と区別して「割算の九九」のことを「割り声」といって,昭和二十年代後半までソロバンによる割算に使われておりました.

2.中国での割算のうつりかわり
 中国では初期の頃から計算用具として,「籌」とか「籌策」とかいうもの(長さはマッチ棒くらいで,太さは軸を4本くっつけた程度の棒.日本では「算木」といった)が使われていて,計算には不便で手間がかかりました.しかし,不便であるということが,いろいろ「工夫」を生んで発展していったのです.
 その間一貫した考え方として「どうしたら,商を安易に案出することができるか」という点を中心に研究されてきたのであります.
 割算の計算方法は、
 (1) 金蝉脱殻(きんぜんだっこく)といわれる「引算法」
 (2) 三段布算・二段布算による,現在の筆算ともいえる「商除法」
 (3) その中で,除数の首位数が一の場合,一を省略して計算する「省一法」
 (4) 省一法を使うために,あえて除数の首位を一にして計算する「求一法」
 (5) 補数を利用して(加減のみで)簡単に答を求める「増成一法」
 (6) 「増成一法」から発展して,割り声を使う「帰除法」
というように移り変わったのであります.
 その割り声でする「帰除法」が,ようやくその頃中国で普及してきた「ソロバン」に適応されて一緒に日本に伝わってまいりました.

3.「数学」のわが国への伝来
 よく知られているように,わが国に外国から数学が伝来した時期は大きくは過去3回ありました.
 第1回目は,奈良時代のすこし前で,計算用具としての「算木」と「九九」そして「暦」が中国から伝えられました.九九はすぐに当時の知識人の間に広まり,「万葉集」のなかに九九を使った歌が17首あるそうです.
 第2回目は,室町時代後期で,やはり中国から計算用具としての「ソロバン」と割算の九九「割り声」でした.
 第3回目は,もちろん明治維新の直前で,西洋から伝えられた「インド・アラビア数字」と「近代数学」であります.

4.「帰除法」(割り声を使った割算)の成立過程
 北宋の沈括(1030〜94)の著した『夢渓筆談 巻十八』に記されているという「増成一法」の計算方法を記してみることにします.もちろん計算用具は算木ですので,一つの位に十を超える数が布数できることを前提にしてください.
 例  245÷7=35           (除数7の補数である3を利用する)
 除数   百位   十位   一位
  7 2 4 5 盤面の各位に 2−4−5 と布数する.
  +3          百位が2であるので,下位に7の補数 
           +3          である 3 を2回足す. 
2 10 5   盤面は, 2−10−5 となる.
−7          十位の10から7を引けるだけ引く.
+1               1回引けたので,百位に 1 を足す.
B 3 5   盤面は,B−3−5となる.(前のBは答)
+3     十位が3なので,下位の一位に7の補 
+3     数の 3 を3回足す. 
+3
B 3 14   盤面は,B−B−14となる.
−7     一位の14から7を引けるだけ引く,
−7     2回引けたので,十位に2を足す.
+2
B D        盤面は,B−Dとなって,答は35である.

もっと簡単な例で示すと,
 例  32÷8=4            (除数8の補数である2を利用する)
 除数   十位   一位 
   8    3    2        盤面の各位に3−2と布数する.
           +2          十位が3であるので,下位の一位に
           +2          8の補数である 2 を3回足す.
           +2
       3    8        盤面は,3−8となる.
           −8          一位の8から8を引けるだけ引く.
      +1               1回引けたので,十位に1を足す.
       4             盤面は,Cとなって,答は4である.
 このように 30÷8=3…6は,自然な形で「八三下加六」(30÷8は,3はそのままで下位に6を加える)と言うようになっていったことがわかります.

5.「割算」と「割り声」との対比
 「割り声」は,中国の『算法統宗』などでは「九帰歌」といわれました.また,わが国最初の刊本数学書ともいわれる『割算書』(1622・毛利勘兵衛重能)には「八算之次第」として掲げられています.
 つぎに,「割算式」と「九帰歌」,『格致算書』(1657・柴村籐左衛門盛之,昭和まで伝承されてきた原型といわれる)の「割り声」とを対比して掲げてみました.

「割算式」    「九帰歌」    『格致算書』
10÷2= 5    二一添作五    二一天作五   ニイチテンサクノゴ
20÷2=10    逢二進一十    二進一十    ニッチンインジュ
40÷2=20             四進二十        
60÷2=30             六進三十
80÷2=40             八進四十

10÷3= 3…1   三一三十一    三一三十一   サンイチサンジュウノイチ
20÷3= 6…2   三二六十二 三二六十二 サニロクジュウノニ
30÷3=10     逢三進一十    三進一十    サッチンインジュウ    
60÷3=20             六進二十 
90÷3=30              九進三十  

10÷4= 2…2   四一二十二    四一廿二    シチイチニジュウノニ
20÷4= 5     四二添作五    四二天作五   シニテンサクノゴ 
30÷4= 7…2   四三七十二    四三七十二   シサンシチジュウノニ
40÷4=10     逢四進一十    四進一十    シッチンインジュ 
80÷4=20              八進二十 

10÷5= 2     五一倍作二    五一加一    ゴイチカイチ
20÷5= 4     五二倍作四    五二加二    
30÷5= 6     五三倍作六    五三加三    
40÷5= 8     五四倍作八    五四加四    
50÷5=10     逢五進一十    五進一十

10÷6= 1…4   六一下加四    六一加下四   ロクイチカカシ
20÷6= 3…2   六二三十二    六二三十二
30÷6= 5     六三添作五    六三天作五
40÷6= 6…4   六四六十四    六四六十四
50÷6= 8…2   六五八十二    六五八十二 
60÷6=10     逢六進一十    六進一十

10÷7= 1…3   七一下加三    七一加下三   シチイチカカサン 
20÷7= 2…6   七二下加六    七二加下六
30÷7= 4…2   七三四十二    七三四十二
40÷7= 5…5   七四五十五    七四五十五
50÷7= 7…1   七五七十一    七五七十一
60÷7= 8…4   七六八十四    七六八十四
70÷7=10     逢七進一十    七進一十

10÷8= 1…2   八一下加二    八一加下二   ハチイチカカニ 
20÷8= 2…4   八二下加四    八二加下四
30÷8= 3…6   八三下加六    八三加下六
40÷8= 5     八四添作五    八四天作五
50÷8= 6…2   八五六十二    八五六十二
60÷8= 7…4   八六七十四    八六七十四
70÷8= 8…6   八七八十六    八七八十六 
80÷8=10     逢八進一十    八進一十

10÷9= 1…1   九一下加一    九一加下一   クイチカカイチ
20÷9= 2…2   九二下加二    九二加下二
30÷9= 3…3   九三下加三    九三加下三
40÷9= 4…4   九四下加四    九四加下四
50÷9= 5…5   九五下加五    九五加下五 
60÷9= 6…6   九六下加六    九六加下六
70÷9= 7…7   九七下加七    九七加下七
80÷9= 8…8   九八下加八    九八加下八
90÷9=10     逢九進一十    九進一十
 唱え方は,地方や時代によって多少異なるようですが,語呂がよい上記のような唱え方になったらしいのです.
 ではなぜ,1÷2を二一と逆に唱えたのかいう疑問ですが,これはすでにあった「かけ算の九九」(すべて順九九のみ)と区別の必要があったことがあげられます.
 しかし,私は今一つ分数との関係もあると思っています.というより文字通り「分数は数を分ける」すなわち「割算」であります.
 1÷2=1/2 を,中国では『二分之一』,わが国でも『二分の一』と除数を先にいいます.
 しかし,英語ではone two と被除数・除数の順番にいうそうです.
 
 余談になりますが,ご承知のように,「分数」の発生については最古の数学書といわれるエジプトの「リンド・パピルス」(B.C17世紀ごろ)のことはよく知られています.
 ところが,中国でも最も古い数学書の一つである『九章算術』が2千年前にはできあがっており,現在小・中学校で取り扱う程度の分数のほとんどすべてが,すでにこの書物に載せられていて,分母・分子・通分・約分などの用語が使われているというから驚きです.

6.「割り声」の構成とその意味
 前述の割り声は,つぎの5種類の句法で構成されています.
 @ 【何】進一十
  例 二進一十(20÷2)ニッチンインジュウ
    二は二十の中に一十あるので,二を1桁進めて一十にする.


 A 【何何】天作ノ五
  例 二一天作ノ五(10÷2)ニイチテンサクノゴ
    二は一十の中に五つあるので,天に五を作る.
    (ソロバンの上方向を「天」という)
 B 【何何】○十ノ○
  例 三一三十一(10÷3)サンイチサンジュウノイチ
    三は一十の中に三つあって一残るので,一を三(30)にして下位に一を加える.
 C  五【何】加○
  例 五三加三(30÷5)ゴサンカサン
    五は三十の中に六つあるから,三加えて六にする.
 D  【何何】加下○
  例 七は二十の中に二つあって六残るので,下位に六を加える.

7.計算例
 
  しばらく省略します.

8.むすび
 ソロバンが日本に伝えられてから約500年といわれています.ソロバンを計算の道具として,日本独特の数学である「和算」が江戸時代を通して発展しました.
 それが明治の文明開化の促進におおいに貢献して,西洋文化の受容を容易にしたことは知られているとおりであります.
 戦後の経済復興を立派に成し遂げられたのも,ソロバンを基礎とした日本人の計数感覚にあるといっても決して過言ではありません.
 終戦直後のアメリカの教育使節が「日本の教育の,漢字と片仮名・平仮名など複雑な言語・文字によるハンディキャップを補っているのは,ソロバンによる」と報告したと聞きました.
 その頃は,まだ「ソロバンといえば,二一天作ノ五」でした.これは「九帰歌」とか「九帰歌訣」とかいわれ,中国で生まれた世界に類例のない,文字通り「割算の歌」であります.苦手なかけ算・わり算を「九九」や「割り声」という語呂のよい歌で楽しく?計算するという,知恵に感動します.
 この「割り声」も,戦後の教育改革とソロバンの就学対象者の低年齢化など状況の変化により,昭和二十年代から三十年代にかけて珠算界での大論争の末,ソロバンの世界からその姿を消しました.
 現在の珠算による割算は「商除法」(中国での発生は帰除法より古い)といって,筆算と同じような方法で計算しています.
 その結果,珠算は技術的にも数理的にも大きく飛躍したことは否めませんが,われわれ珠算人にとって「二一天作ノ五」が,日本のソロバンのルーツであることに変わりなく,これからも大切に受け継いでいきたいと思っています.

●…………参考文献
『珠算算法の歴史』山崎與右衛門・戸谷清一・鈴木久男,森北出版株式会社(1958)
『珠算襍記』第五集,日本大学珠算研究会(1961)
『東西算盤文献集』第二輯,山崎與右衛門,森北出版株式会社(1962)
「九九について」須賀源蔵,『塵劫記論文集』(1977)
『和算以前』大矢真一,中公新書(1980)
「九帰法成立の背景」戸谷清一,『数学史研究』92号(1982)
『分数と% なるほどゼミナール』船越俊介,日本実業出版社(1984)
『日本人の数学感覚』下平和夫,PHP研究所(1986)
『珠算の歴史』増補訂正版,鈴木久男,珠算史研究学会(2000)

『数学文化』No.6(2006.6)所載
posted by そろまんが at 16:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。