2010年03月04日

開設にあたって

いらっしゃい! 【 ソ ロ ば ん か き ょ う 】 へ よ う こ そ。

  ソロバンを、いろいろな観点からとらえるので、万華鏡(まんげきょう)とし、

  「 ソロバン 」 + 「 万華鏡(ばんかきょう) 」 + 「 花鏡 」から、
 

  ブログ・タイトルを 《 ソ ロ ば ん か き ょ う 》 としました。

  
また、過去だけでなく、未来をも見据えるという意味から、

   サブタイトルを「 珠算の 昨 日・今 日・明 日 」 としました。
  
これは、珠算技術・競技の奥義を教示していただいた、塩見利夫先生を偲ぶ気持でもあります。
 
  よろしくお願いします。




 「珠算資料館」の開設にあたって


 このたび、ブログ「ソロばんかきょう」なるものを開設する運びになりました。

 ソロバンの原型は、その文明が発生と同時に出現したものと想像できるが、現在われわれの使用しているソロバンは、中国で生まれたといえるであろう。
 16世紀中葉わが国に伝えられたソロバンは、その「伝来」が時宜にかなったこと、また、その「操作方法」が日本人の特質に合致したことが幸いして、急速に全国的に普及していった。
 その結果、「学問的」には「和算の発生と発達」に寄与し、「社会的」には「商工業の発展」を促し、「教育的」には「庶民の水準の向上」に貢献して、それぞれが明治維新以後の日本人のポテンシャル(潜在能力)になった。

 しかし、近年の珠算人の言動を見ていて、日本が世界に誇れる伝統文化としての「珠算」を次世代に引き継ぐには、このままでよいのであろうかと、危惧を抱いている。
どのような文化であっても、その独特の技術や精神が正しく伝承されてこそ、未来に引き継ぐ正しい伝統が生まれるからである。

 幸いにも、私は大阪珠算協会で、西谷治三郎先生から「珠算史」を中心とした珠算に対する見識を学び、貴重な書籍をいただいた。その後入手した資料や史料などを整理して、まとまったものから少しずつ掲載したいと考えている。
 その際、できる限り正確を期するよう心がけたが、何分にも限られた情報網ということで、疑問な点や問題点が多々あろうと思われるので、お気づきの点はご忌憚なくご指摘いただいて、より実のあるものを後世に残しておきたいと考えている。

 ソロバンについて述べると、必然的に「和算の分野」に踏み込むが、「珠算関係」だけでも奥が深く、広範囲にわたるので、できるだけ「珠算・ソロバン」を逸脱しないように心がけた。
また、「そろばん」の呼称については、「算盤」(サンバン)とは本来「算木の計算で使用する盤」のことを指すので、平仮名表示もあるが、片仮名の「ソロバン」で統一した。

 なお、まだ眠っている資料のご提供や、アドバイスなどを頂ければ有難いと思います。
posted by そろまんが at 15:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

じっちゃんの算数

じっちゃんの算数教室

1..1から20まで足すと?(自然数の和)
2.1+2+4+8+…  (倍加算)
3.36×34=     (同側和十法)
4.インドの掛算     (両首一法) 
5.1.03×0.98=   (近一乗除法)
6.8×6=8×5=8×4(減一・帰一)
7.3456÷8=    (増減一法)
8.64の平方根は?   (めの子平方:引去法)
9.引残法
10.47×32=     (2倍法・エジプトのかけ算)
11.余数乗法
12.指算
13.平方の計算
14.掛けて割る算
15.お釣りの計算
16.9で割れる?     (2〜9の整除性)
17.÷3000、÷999 の計算  
18.1÷0.98 の計算
19.カラス算

1.1から20まで足すと?(自然数の和・等差級数の和)
  例1  1+2+3+……+18+19+20はいくらになるか?
   計算式
(20×21)÷2=420÷2=210        答  210
  例2  1から36までの和はいくらか
   計算式
    (36×37)÷2=1332÷2=666        答  666   
  例3  1から100までの和はいくらか 
   計算式
    (100×101)÷2=10100÷2=5050      答 5050
 
  説明 1から20まで足す場合
  上に1から20まで書きます    1+ 2+ 3+……+18+19+20
  下には逆に 20から1まで書いて 20+19+18+……+ 3+ 2+ 1
上と下を足すと         21 21 21 21 21 21
となって  21が20個できるので、全部たすと 21×20=420 になります。
  この420は1〜20の2つ分ですから、2で割ると、答の210がでます。

  拡大して、等差級数の和を求める公式は(初項+末項)×項数÷2です。
  例4 51〜60 の和を求める。
     初項=51  末項=60  項数=60−51+1=10 
     (51+60)×(60−51+1)=111×10÷2=555   答  555

◎ エピソード
ドイツの大数学者 ガウス(Karl Friedrich Gaugg 1777~1855)が9歳のときでした。
ドイツのブラウンシュワイの小学校でのできごとです。
算数の時間に担任のビュットネル先生が「1から2,3,4と40までたした答をだしなさい」という問題をだしました。
すると、すぐに手をあげて「答は820です」とこたえたのです。そして前のような説明をして、先生を驚かせました。これが子供時代のガウスの有名な逸話です。

2.1+2+4+8+……(倍加算)
  ある数からはじめて、2倍、その2倍、また2倍といくつか作って、その合計をだす
という、足し算の練習です。
 例1 はじめの数を1として、10個足すといくらになるか。 
     1+2+4+8+16+32+64+128+256+512=1023(*)

答の簡単な出し方  
最後の数×2−はじめの数
     512×2−1=1023

  例2 はじめの数:3 個数が10の答はいくらか。
     3+6+12+24+48+96+192+384+768+1536=3069
答の出し方
     @ 1536×2−3=3069
     A 個数が10の場合  3×1023(*)=3069 (例1の3倍だから) 

  例3  はじめの数:86  個数が10のときの答をだしなさい。
     86+172+344+688+1376+2752+5504+11008+22016+44032=87978
   答の出し方
     @ 44032×2−86=87978 
     A 86×1023(*)=87978

3.36×34= の速算法(同側和十法)
  2桁どうしの計算で、「インドの計算」といって話題になる多いが、日本でも古くから使われていた。

 @ 十位が同じで、一位を合わせると十になる場合(同篇和十)
             36
           × 34
  1224    
(3×3+3)→  1224 ←(6×4)…(3×3+3)×100+6×4=1224
 A 一位が同じで、十位を合わせると十になる場合(同旁和十)
              87
            × 27
  2349
(8×2+7)→ 2349 ←(7×7)…(8×2+7)×100+7×7=2349
 Bかけられる数が同数字で、かける数の一位と十位とを合わせると十になる数の場合(同冠和十)
             33
×  46 
            1518 
(3×4+3)→ 1518 ←(3×6)…(3×4+3)×100+3×6=1518
 Cかけられる数の一位と十位を合わせると十になり、かける数が同数字の場合
  Bの、かける数とかけられる数が、入れ替わっている場合(同沓和十)
37
× 66 
2442
(3×6+6)→ 2442 ←(7×6)…(3×6+6)×100+7×6=2442
◎ これを拡大すると、つぎのように発展します。
BD4
×  BD6 
126024   (35×35+35)×100+4×6=126024

C83
   ×  C17   
201411   (4×4+4)×10000+83×17=201411

HG74
×  HG26  
97021924   (98×98+98)×10000+74×26=97021924
実用的ではありませんが、数楽の一つとしてためしてみてください。

4.インドの掛け算(2けた×2けた)
@ 十位が1のとき(両首一法)
  例 1. 17×13=221 
         17
×  13
        221 (17+3)×10+7×3=221

  例 2. 18×16=288 
         18
  ×  16
    240     
         48            

    288 (18+6)×10+8×6=288  

 A 十位が同じ数のとき(中国では、首位相同法)
  例 3. 28×26=728
          28
       ×  26 
         680 ←(28+6)×20
          48 ←(8×6)
         728 (28+6)×20+8×6=728

  例 4. 73×74=5402
          73
       ×  74
        5390 ←(73+4)×70
          12 ←(3×4)
        5402 (73+4)×70+3×4

  例 5. 103×104=10712
         103
       × 104
10700 ←(103+4)×100
   12 ←(3×4)
10712 (103+4)×100+3×4=10712

 B 一位が同じ数のとき(中国では、末位相同法)
  例 6. 42×32=1344
          42
       ×  32
        1200 ←(40×30)
         144 ←(42+30)×2
        1344  40×30+(42+30)2=1344

  例 7. 39×59=
          39
       ×  59
        1500 ←30×50
         801 ←(39+50)×9
        2301  30×50+(39+50)×9=2301

5.1に近い数どうしの計算(近一乗・除法)
 @ 1に近い数どうしの掛算
  *計算方法:2つの数をたして1を引く
    1.03×1.02=1.03+1.02―1=1.05(1.0506)
    1.04×0.98=1.04+0.98―1=1.02(1.0192)
    0.98×0.97=0.98+0.97―1=0.95(0.9506) 

 A 1に近い数どうしの割算
  *計算方法:1をたして割る数を引く
    1.03÷1.02=1.03+1−1.02≒1.01(1.0098…)
    1.02÷1.03=1.02+1−1.03≒0.99(0.9902…)
    1.04÷0.98=1.04+1−0.98≒1.06(1.0612…)
    0.98÷1.02=0.98+1−1.02≒0.96(0.9607…)
    0.98÷0.96=0.98+1−0.96≒1.02(1.0208…)
    0.96÷0.98=0・96+1−0.98≒0.98(0.9795…)     
       
6.8×6=8×5=8×4=(減一・帰一乗法)
   * 8×6=48  です
   * 8+8×5= (8に8の5倍をたす)
     ソロバンで計算すると
              8    
             40 ←(8×5)
             48
   * 8×10−8×4= (8の10倍から、8の4倍を引く)
             80
            −32 ←(8×4)
             48 

7.「九九」を使用しないわり算(増成一法)
  中国では、ソロバンが発生するまで「籌(ちゅう)」とよばれる「算木」で計算が行われていたが、しかし、けっこう手間がかかるので、いろいろな工夫をいろいろな方法が 考えられながら発達した。
  発達の一つの段階として「増成一法」といって、つぎのような方法がおこなわれて  いたが、特徴は加減のみで全く「九九」を使わないでする除法である。

  例  3456÷8=
   *3   4   5   6   8で割る(*は途中のソロバン面である)   
       +2           8と10との差=2(補数という)
       +2           @首位の3を仮の答として、つぎの位に補数
       +2            の2を3回たす
   *3  10   5   6
       −8           A10から除数の8を引く
   +1               B8が1回引けたので、上の位に1をたす  
   *4   2   5   6   C4は確定する
           +2       Dつぎの2を仮の答として、つぎの位に補数
           +2        の2を2回たす 
   *4   2   9   6   
           −8       E9から除数の8を引く
       +1           F8が1回引けたので、上の位に1をたす
   *4   3   1   6   G4と3が確定する 
                    Hつぎの1を仮の答として、つぎの位に補数
               +2    2を1回たす
   *4   3   1   8
               −8   I8から除数の8を引いて上の位に1をたす
   *4   3   2        答は 432 である 
                        ・  ・  ・  ・
  この計算はソロバンでは、定位点にあわせて  3・・4・・5・・6 と布数して 
 計算すれば簡単にできる。
  この計算が発展して、「割り声(割り算の九九)」がうまれた。なお、中国では、なるべく考えずに答を算出する工夫をした。

8.64の平方根はいくらか(めの子平法・引き去り法)
       @ A B C D  E  F  G
    64−1−3−5−7−9−11−13−15=0 
と奇数を8回引けば0になるので、64の平方根は 8 である。
  
9.引き残し法
    64−1−1−2−2−3−3−4−4−5−5−6−6−7−7=8

10. 47×32=1504(2掛け乗・除法・エジプトの掛算・割算)
        47   32         47    1
        94   16         94    2
       188    8        188    4
       376    4        376    8

       752    2        752   16

      1504    1       1504   32

   86×53=4558

        86*  53         86    1*
       172   26        172    2
       344*  13        344    4*
       688    6        688    8
      1376*   3       1376   16* 
      2752*   1       2752   32*
*印の数の合計をすれば、      右の数を2倍ずつしていく、  
     答の 4558 が求め      32を2倍すれば 53 を
     られる。             超えるのでストップして、
     86+344+1376      53−32−16−4−1=0
+2752=4558       *印の左の数を合計すれば
                      答の 4558 が求められる。

11.余数(補数)乗法
   例1  8×6=(10−2)×(10−4)=48
      *ソロバンでは、この2と4を補数といって、8の補数は2、6の補数は4
       であるといいます。
   計算方法  (8+6)×10+2×4−100=48
   例2. 7×6=(10−3)×(10−4)=42  
    計算方法  (7+6)×10+3×4−100=42
   例3. 9×3=(10−1)×(10−7)=27
    計算方法  (9+3)×10+1×7−100=27
   例4. 4×2=(10−6)×(10−8)=8
    計算方法  (4+2)×10+6×8−100=8 

12.指でするかけ算
  前の11.を延長あいたのが、よくいわれる指算で、6,7,8,9の段どうしのかけ算である。最近までヨーロッパ(フランス・ルーマニアの農民、モルドヴァ・セルビアのジプシー・イランのクルド人などのあいだ)で使われていたらしい。
     8×6=48
    計算の手順 @5の段までの九九は覚えさせる。
          A左手の指で、親指から小指に向かって1,2,3,4、5とおりまげて、6,7,8と起こす。(3本起きている)
          B右手の指で、親指から小指に向かって1,2,3,4,5とpりまげ
           て、6と起こす。(1本起きている)
          C左右の起きている指は、1本を10と数える。(4本で40)
          D左右の曲げた指どうしかけ合わせる。(2×4=8)
          ECの数とDの数とを加えて、積とする。(40+8=48)
   *10を超えた数どうしのやり方もあるが、ここでは省きます。

13.自乗の計算
     67×67=4489         89×89=7921
    ソロバン面   67                 89            
               42                 72
               42                 72
               49                 81
            6・889              81521 
             36                  64
             4489                7921

14.かけて割る算
   ÷2=×1/2=×0.5   8÷2=8×0.5=4
   ÷3=0.3333…     9÷3=9×0.3333=2.9997≒3
   ÷4=0.25        8÷4=8×0.25=2
   ÷5=0.2        20÷5=20×0.2=4
   ÷6=0.1666…    30÷6=30×0.1666=4.998≒5
   ÷7=0.142857…  70÷7=70×0.142857=9.99999≒10
   ÷8=0.125      40÷8=40×0.125=5
   ÷9=0.1111…    90÷9=90×0.1111=9.999≒10

15. おつりの計算
  日本では、買い物で「おつり」を計算するとき、
 例えば、合計 387円 の買い物をして 500円 で支払おうとすると、
 500円―387円=113円 で、113円のお釣りをくれます。
  ところが、ヨーロッパなどを旅行して、買い物をすると、まえの例の場合だと、
   商品(387円)+1円(388円)+1円(389円)+1円(390円)
+10円(400円)+100円=500円 となって、
商品とお金を(全部で500円)くれます。この方法だと、計算をしなくとも(計算ができなくとも)もらった人も納得します。
英語では、お釣りのことを「チェンジ(交換する)」といって、同じ価値のものどうしを交換することです。そこには西洋流の合理的に納得し安心できるのです。
日本でいう「お釣り」も、商品と払ったお金が釣り合うということで、同じ意味といえます。

16. 9で割れる?(2〜9の整除性)
    任意の整数を、ある整数で割って、整数で割り切れることを整除性といいます。    
   @ 2の整除性
     偶数は2の倍数である。
   A 3の整除性
     単一数(各位格の数字を合計した数、例378 3+7+8=18と2けたになったので、さらに足しあわせて 1+8¬=9 と1けたにした数)が、3の倍数であれば、3で割り切れる。
   B 4の整除性 
     (イ)末尾の2桁が、00か4の倍数であれば、その数全体が4の倍数である。
     (ロ)偶数で、下2桁を2で割ってもその答が偶数であれば、4の倍数である。
   C 5の整除性
     一位が、0か5であれば、5の倍数でる。
   D 6の整除性,
     偶数で、単一数が3の倍数であれば、6で割り切れる。 
   E 7の整除性
* 7が一番複雑である。
     (イ)一位から、3桁ずつの群にわけて、奇数番目の群の和から、偶数番目の和を引いた差が、0か7で割れれば全体の数が7の倍数である。
        例 3,912,657,840
(840+912)−(657+003)=1,092
          092−001=91 91÷7=13 と7で割り切れるので、
          3,912,657,840は 7の倍数である。
     (ロ)1位(7位)数の1倍、2位(8位)数の3倍、3位(9位)数の2倍、
        4位(10位)数の6倍、5位(11位)数の4倍、6位(12位)数の5倍した数の和が、7で割り切れれば、全体の数は7の倍数である。
        例 3,912,657,840
         0×1+4×3+8×2+7×6+5×4+6×5+2×1+1×3+9×2+3×6=161 161÷7=23 と7で割り切れるので、
          3,912,657,840は 7の倍数である。
     (ハ)末位数の2倍をその上位から引いて、順次上位へ引いて残数が7で割り切れれば、全体の数は7の倍数である。
        例 3,912,657,840
3912657840
                    −8C 
               3912657000
                  −14F
              3912510000
                  −2@        
               3912300000
                ―6B
               3806000000
              −12E 
              3780000000           
             −16G
               21
        21は7で割りきれるので、全体の数は7の倍数である。
     (ニ)上位から1001の倍数(9009,8008,…)を引き去って、3桁になれば、777を引いて残数が7で割り切れれば、全体は7の倍数である。
        例 3,912,657,840
3912657840
   −3003
                909657840                  
               −9009    
                  8757840
                 −8008
                  749840
                  −7007
                    49140
                   −4004
                     9100
                    −9009
                      910
                    −777
                      133
           133÷7=19 と7で割れるので、全体は7の倍数である。                                  
     (ホ)3×(1位目の数)+2×(2位目の数)−1×(3位目の数)−3×(4位目の数)−2×(5位目の数)+1×(6位目の数)+3×(7位目の数)−2×(8位目の数)−1×(8位目の数)−3×(9位目の数)が、7で割り切れれば、全体の数は7の倍数である。
       例 3,912,657,840    
3×0+2×4−1×8−3×7−2×5+1×6+3×2+2×1−1×9−3×3=0+8−8−21−10+6+6+2−9−9=−35   
       −35は、7で割り切れるので、全体の数は7の倍数である。
     (へ)A+5Bが7の倍数であれば、10A+Bは7の倍数である。 
       例  329
       A=32 B=9 A+5B=32+5×9=77 は7で割り切れるので、
       32×10+5×9=77 で7で割り切れるので、
32×10+9=329 は7の倍数である。
   F 8の整除性
     (イ)末尾の3桁が、000か8の倍数であれば、全体の数は8の倍数である。
     (ロ)偶数で、下3桁を2で2回割っても偶数でれば、8の倍数である。
     (ハ)百位が偶数のときは、下2桁が8で割る。
        百位が奇数のときは、下2桁に20を加減して8で割る。
     (ニ)1×(一位の数))+2×(十位の数)+4×(百位の数)が8で割り切れれば、全体の数は8の倍数である。
   G 9の整除性
     その数の単一数が9となれば、9の倍数である。

17. ÷3001,÷999 (被除数に、商が隠れている)
   例1   1,941,647÷3,001= 647
   例2   4,184,523÷8,001=523
   例3   168,831÷999=(1000−831)=169(831の補数)
   例4   998,001÷999=(1000−001)=999(001の補数)

18.1÷0.98の計算
   1−0.98=0.02 なので、
  ソロバンでの計算方法
   1+0.02(1×2=2)=1.02
   1.02+0.0004(2×2=4)=1.0204
   1.0204+0.000008(4×2)=1.020408
   1.020408+0.00000016(8×2)=1.02040816
   
19.999×999=   (カラス算)
   999×999=998001
999×(1000−1)と考えて、ソロバンの6けた目(十万の位)から、
   999と布数すると、999000となって、そこから 999を引いて
999000−999=998001を得る。

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写算・籌算・筆算

写算について

 筆算のことを中国では「写算」または「鋪地錦(ほじきん)」といい、朝鮮では「文算」といった。これは、「格子掛算」のことである。それがネピア・ロッドとかネピア・ボーンとかいわれるイギリスの「棒計算術」につながり、『暦算全書』では、「籌算」となった。
 アラビア数字による「筆算」にたどり着くまで、大変な時間と苦労があったのである。
 アラビア数字の伝播について考え、その後筆算につなげたい。

T.数字の変遷
 現在インド・アラビア数字が、世界を席巻している。世界の言葉の雑居状態にあるわが国では、インド数字のほかに、漢数字はもちろん今でもローマ数字もつかわれている。

1.古代エジプト(前5000〜前2000)
 エジプト王国の文字は、時代によって変わる。
(1)ヒエログリフ(神聖文字)
    古代エジプト王国の初期から約3000年間使用された。
    象形文字・絵文字で数字は完全な十進法である。古代文字の中で最初に解読された。記数法は単純で分かりやすいが記録に手間がかかる。
(2)ヒエラティック(神官文字)
    記録を必要とするのは、神官や役人であるから、簡便な記録しやすい文字や数字を工夫して使うようになった。その書体をいう。

2.バビロニア(前3000〜前539)
 古代文明はオリエントで栄えた。字画が楔(くさび)の形をしているから「楔形(くさびがた・せっけい)文字」といわれる。初期は縦書き、のち左から右への横書き。数字は十進法と六十進法で表される。

3.ギリシァ(前9世紀〜前6世紀末)
 (1)アッティカ方式
    原則として十進法をとっており、1から4までは、1を表す縦の棒線を並べた個数で五はГで示し、十△・百H・千X・万Mなど各位に単位を表す数詞の頭文字(頭音書法)で表す。
 (2)イオニア方式
    ギリシァのアルファベット24文字の小文字と、古文字3個を加た27文字を一つずつ数字にあてはめる方式である。

4.ローマ(前6世紀〜15,6世紀)
 ギリシァ数字(アッティカ方式)の影響を受けている。
 基本的には、十進法であるが、一、五、十、五十、百、五百、千などの数字が決められていて、それらを組み合わせて表示する。
 同じ数記号を並べるのは3個までとするのが慣例となっている。

5.インド(前2300〜)
 インド数字の起源はわからない。古い時代はいろいろな数字があったようである。紀元前後の頃には、1〜9と10、100、1000などを表す記号があったが、ゼロはなかった。0(ゼロ)が発明されたのは9世紀の後半になってからである。(876年の碑文がある)

6.中国(前12世紀〜)
 前12世紀初めの殷末から歴史時代に入り、周から清までの諸王朝を経て現在につながっている。文字はそれ以前から自然発生して、殷時代にはすでに用いられていた。わが国には6世紀頃伝わった。


U.数字の発生と筆算の沿革  〔『数字の発生』(ジョルジュ・イフラー著 彌永みち代他訳)より〕

 わが国にインド数字が正式に伝来したのは幕末のころで、まだわずか150年前のことである。
 因みに命位数が伝来して1000年以上遅れて数字が伝来したのであるが、どちらもインド生まれであることに不思議な因縁を感じる。

前2700          シュメールの楔形文字数字が出現 
前2600〜前2500      エジプト神官文字の数字が出現
前2千年代前半      アッシリア−バビロニア楔形文字記数法の近東一帯への伝播
前14世紀末        中国最古の数字が出現
前8世紀末        アラムの記数法最古の資料
前6世紀末        フェニキアの記数法最古の資料
前5世紀         アッテカで“頭音書法”によるギリシアの記数法が出現

前4世紀末〜前3世紀初頭  エジプトに“アルファベット”による、ギリシァの記数法最初の文献

前3世紀中期        バビロンの学者間に史上初のゼロが出現

前2世紀         “方形ヘブライ文字”の最初の文献「ナーナー・ガード洞の仏教碑文に、ブラーフミー数字のより完全な形が出現」
この数字は現代の9個の数字=インド・アラビア・ヨーロッパの数字を真に予告するものであるが、まだ位取り原理には従っていない。

前2世紀〜後2世紀    中国文字の改革。小篆文字(徐々に現代の字形に変遷していき、算木方式による位取り十進法の記述法《ゼロはない》)出現

718           「開元占経」百二十巻(中国でインドの『九執暦法』を漢訳)このとき、インド数字が伝わった形跡がある。

976           「インド・アラビア数字」のヨーロッパ輸入。最古の記録は、北イスパニアのアルベルト僧院から出現。《ゼロの記号はない》

1299           フィレンツェの銀行家たちがアラビア数字の使用禁止

1450           グーテンベルク「活版印刷」発明 『字形が安定した』

1457〜96         暦には「ローマ数字」を使用
             『ドイツは新数字の採用を強く拒否した』

1518           ケペルの暦も「ローマ数字」を使用

1582           マテオ・リッチ(利瑪竇)がマカオに到着
1596           「コンテムツス・ムンジ」刊行
1607           「幾何原本」(利瑪竇口述・徐光啓記録)刊行
1614           「同文算指」(利瑪竇口述・李之藻記録)刊行
1723           「暦算全書」(梅文鼎著)刊行
1785           「版籌」(乳井貢著)刊行
1788           「蘭学階梯」二巻 刊行(『数量』の章にアラビア数字掲載)
1798           「暦象新書」刊行(+−×:(÷))西洋数学の直接輸入
1857           「西算速知」(福田理軒著)刊行
1857           「洋算用法」(柳河春三著)刊行


V.計算方法の推移
1202年   『算盤の書』(Liber abaci)レオナルド・フィボナッチ著
ヨーロッパにおけるインド数字採用の第一歩、「インドの九つの数字は、9,8,7,6,5,4,3,2,1である。これらの九つの数字と、アラビアではzephirumと呼ばれる記号ゼロ(0)とをもって、どんな数でもあらわされる。」
 これは、フィボナッチがインド数字の意義を完全に理解していた証拠で、この数字を使って計算方法や商業数学を解説している。 

14世紀   ギリシャの僧侶マキシム・プラムデスがインドで著した『算術書』で「格子掛算」と呼ばれている。≪内山昭著『計算機歴史物語』≫

1403〜1424年 『七政推歩』 貝琳編
 当時イスラム国家では、すでにインドの土盤算を筆算に改良していたが、依然としてこの種の算法を「土盤算」と称していた。「去土盤訳為漢算」とあるから「漢算」ともよばれていたらしい。≪銭宝j編『中国数学史』≫ 

1427年   『算術の鍵』アル・カーシー著で、紹介している。

1450年   『九章詳註比類算法大全』 呉敬著 「写算鋪地錦為奇 不用算盤而知数」

1450年頃  『万書萃宝』『万宝全書』『博聞勝覧全書』などの百科全書に「鋪地錦」として掲載している。

1478年   イタリア北西部の町トレヴィソで、印刷された『算術書』(最初の活版印刷
よる算書)に他の方法とともにこれを「ゲロシャ法(Gelosia)」として説明されている。“Gelosia”という言葉の本来の意味は“嫉妬”であり、格子の型は、当時ヴェネチアの窓に用いられたもので、家の中にいる婦人や尼僧が街路から見えないように置かれたものである。≪カジョリ『初等数学史』下≫
(イー・ヤー・デップマン著『算数の文化史』では、「格子状シャッター」の意味とある)

1494年    『算術集成』イタリアのルスカ・パチオリ著(世界最古の複式簿記として有名)にも『トレヴィソ算術』の図が転載されている。 

1573年   『盤珠算法』 著者不詳 「鋪地錦:不用算盤而因乗見総」

1592年   『算法統宗』巻十七・程大位著には、「写算即鋪地錦」とある。

1617年   ジョン・ネピア『棒計算術』で、世界最古の乗除算用具の使用法について述べている。ネピア・ロッド(Napier rods)またはネピア・ボーン(Napier bones)と呼ばれた。(1642年 B・パスカル:機械式加算機を発明、1673年G・W・ライプニッツ:加減乗除の可能な計算機を製作)

1678年   『暦算全書(籌算)』梅文鼎著 「籌算」という呼び名は、「籌」が算木を意味するため誤解されやすいが、前記のネピア・ロッドすなわち「格子掛算」である。中国式の独特な形に改めて、縦線を横線に変え、位を区別するために用いられた斜線を半円に置き換えた。

1693年   『暦算全書(筆算)』 梅文鼎著 詳細については別項で。

17世紀末   『九数略』(朝鮮)崔錫鼎著 甲乙丙丁四巻、丁巻の附録で、「文算、俗称写算、一名鋪地錦」と紹介している。  

1701年    『古今算法重宝記』 鈴木重次著 九九表を縦横9行の格子の目で記している。

1723年   『籌算式』 有沢致貞著
1725年   『算法指要』 有沢致貞著
1764年   『牙籌譜』 山県昌貞著 
1767年   『籌算指南』 千野乾弘著 
1768年   『籌算開平立方法』 千野乾弘著
1770年   『捷径算法』 千野乾弘著 
1785年   『版籌』 乳井貢著 日本で最初の筆算を説いている。
1804年   『筆算』 石黒信由著 「写算」である。
1826年   『帰乗法捷』 鶴峯戊甲著
1841年   『算学必究』 奥村贈㋑著
1855年   『籌式便覧』(帰乗法捷を改題)鶴峯戊甲著
 ?    『籌算』中川淳菴著
 ?    『紅毛算法(オランダ算法・算籌全書)』 著者不詳 
1867年   『西算速知』 福田理軒著 日本で最初の「格子掛算」を用いて「西算」によるを説明している。
1867年   『洋算用法』 柳河春三 アラビア数字を用いたわが国最初の文献である。

1890年頃   フランスの土木技師ジュナイユ(Henry Genaille)が「計算棒」(加算不要で n桁×1桁 の答が求められる)を考案した。≪別冊サイエンス『数学ゲームU』マーチン・ガードナー著 赤攝也・赤冬子訳 ’98≫
 
 上記の外に、≪中華珠算大全≫によれば、「籌碼算盤」として、「在使用籌碼的后期、有了籌碼算盤。一説:到了六朝(420〜577年)末年、才把這種籌碼算盤、改成現在的珠算盤。別説:由于這種算盤在運算上的不便、后被珠算盤所取代。」との説明があり、図入りで記されている。
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珠算と暗算

珠算式暗算の一考察
村 上 耕 一

1.数字の発生
  「人類の歴史の大半を通じて,計算はほとんど必要ではなかった」と『コンピュータを創った天才たち』で著者ジョエル・シャーキンがいう.
  原始生活において,その活動範囲が広がり,生活の事象を記憶のみに頼ることができなくなって,記録を必要とするようになった.そこで生まれたのが文字であり,数字である.
  人類が誕生して180万年とも言われるが,人類が文字を持ってからせいぜい5000年程度(シュメール文字:前3300年,エジプト象形文字:前2500年)である.
  文明の発達に応じてようやく計算が必要となり,その計算が複雑化してくることによって,計算の補助手段としてソロバンの原型が誕生することになった.

2.「珠算」の誕生
  「『算盤』(αβακιον)という言葉が始めて文献に現れるのは,恐らくLysias(Bc.458~378)の著作においてであろう.≪吉田 隆≫」ということである.
  一方,中国において,「珠算」という語が出ている最初の文献は,漢末(2世紀ごろ)の徐岳が撰し,北周(6世紀ごろ)の甄鸞(ケンラン)が註釈を加えた『数術記遺』であるといわれる.
  この書には,十四の計算方法があげられていて,十三番目に「珠算」が記されている.
甄鸞の註釈から想像すると「全体は箱型で,横に三つに区切り,上段は五珠・下段は一珠の未使用珠の待機場所である.五珠と一珠とは色分けしてあり,中段は縦に何桁かに区切ってあって,1桁に9(五珠1つと一珠4つ)までの珠を入れて計算する場所である.待機している珠を「游珠」といっているところから,このソロバンを通称「游珠算盤」と呼ばれているが,原理は「四つ玉ソロバン」である.
  宋(960〜1279)元(1271〜1368)時代になると,商業が盛んになり『算学啓蒙』(朱世傑著・1299年)の出題問題に多くみられるように,1斤=16両とする「斤両法」の計算が必要になった.因みに,1斤が16両というのは,四季の4と四方の4を掛け合わせた数をあらわしているという.≪薮内清著『漢書・律暦志』≫
  それまでの計算用具としての籌(算木)を,利便性から固定化するとき,珠に軸を通して16進数に適応させ,1桁に1〜15の数表示ができるように「天二地五のソロバン」が生まれたのである.

3.日本のソロバンの推移
  このソロバンがわが国に伝わったのは,いつ頃か今もってわからない.ただ幾つかの史料からみて,16世紀中葉であろうと推測されている.
  その後,江戸時代を通して(一部を除いて)改良はなされず,伝来の姿そのままの「天二地五」であったが,明治になってようやく天珠を一顆減らして「天一地五」のいわゆる「五つ玉ソロバン」に変身したのである.
  しかし,十進数に合わせながらも「五つ玉ソロバン」は,1桁に十までの表示ができるため,十の表し方が2種類(百は3種類,千は4種類……)あるのである.
  それでも,当時の割算は「割り声」を使った『帰除法』であったので,五つ目の珠(底珠という)を利用することもあった.
  昭和になって,当時の文部省は「インド・アラビア記数法」と一致することを最大の理由として,『尋常小学算術』第四学年児童用下の教科書(昭和13年・いわゆる緑表紙)の編纂にあたり「四つ玉ソロバン」を推奨した. 
  珠算界としては,この変革にあたって相当の議論を重ねた結果,徐々に受け入れて「四つ玉」に移行していった.割算が『帰除法』から『商除法』に切り替えられたのもその頃で,昭和二十年代末のことである.
  端的にいえば,ソロバンはこのように「中国で,四つ玉に生まれ.約二千年の時を経て,日本という外国で,もとの四つ玉に回帰した」のである.

4.わが国でソロバンが普及した理由
  このような諸改革(形体面・技術面)が,今日の珠算と珠算式暗算の発展に大きく結びついたのであるが,日本でソロバンが普及した理由や珠算の優位性などを考察したい.
(1)「九九」があった
   奈良時代に伝わった掛算の九九は,知識層はもちろん広く庶民にまで普及していた.これは成り立ちが簡単で,言語上からも憶えやすく,リズミカルで唱え易かった.
(2)文字としての数表現
   漢数字は記録数字であったために,記録してそのまま計算をするには困難をきたしたので何らかの計算用具に頼らざるを得なかった.
   しかし,幸いにも中国から移入したこの数表現が十進法であり,基数字(一から九まで)と位格命数(十百千万億など)で成り立っていたことは,アラビア数字へ移行が比較的容易であった.
   もし,ギリシアでの10=ι・20=κ・30=λ・40=μ・50=ν・60=ξ・70=ο・80=π・90=ρ・500=φ,ローマ数字の50=L・500=D などのような文字が中国にあったら,すんなりとは受け入れられなかったかも知れない.
(3)言語としての数表現
   日本の数の唱え方は,上位から下位へ位格ごとに一桁ずつ唱える直接法であった.英語では,例えば十三を3+10(thir・teen),三十は3×10(thir・ty).十九は9+10(nine・teen),九十を9×10(nine・ty)と唱える.
(4)軽便であった
   日本人は,携帯に便利なように小型化したり,軽くしたりするのが得意なので,ソロバンの製作に職人の技術と勘を生かすことができた.
(5)日本人の特性に合致した
   @ 農耕民族の特徴として,手先が器用である.
   A 「せっかち」「完全主義」の性格が 改良工夫につながった.(鉄砲・時計など)
   B 右利きが多いことが,ソロバンの運算に適していた.
   C 右手を使うと,左脳を刺激して数的能力の向上に有効である.
   D ソロバンへの布数が,アラビア数字の位取り表記と一致していた.
(6)識字率が高かった
   すでに漢字を咀嚼していたので,情報源が中国であった当時としては,バイリンガルであった.その上,漢字(真名)から片仮名・平仮名を発明したことにより,低年齢でも書物が読めて,文章表現も可能であった.
(7)ソロバンと数学の伝来時期が合致した
   信長の「楽市・楽座」の設置により,領国を越えた商業の発達が迅速な数処理を必要とした時期であり.その後の全国統一により納税などの計算が頻繁に行われた.
   そこへ伝わった数学の内容が,当時の日本人のレベルより少し高度であったが,十分理解できる程度であった.
(8)操作と数表示が効果的であった
   @ 珠が回ることにより操作をスムーズにした.(ローマソロバンの珠は回らない)
   A 「ご破算」を,天珠を上げる動作で行う.(ローマソロバンでは、上下全部の珠を下げることでゼロを表した)
   B 明治以降,改良を加えた.
    *珠の大きさを指に合致させた.
    *構造をシンプルにした.(天珠を1顆に地珠を4顆にした)
 

5.珠算式暗算について
(1)珠算式暗算の優位性
  @ アラビア数字の十進位取りに合致する。
  A 2桁・3桁10口以上の数の加減はもちろん,2桁×2桁以上の掛算が,正確・迅速に計算できる.(これは珠算式暗算のほかには,考えられない)
  B 0がハッキリ認識できる.
(2) 珠算式暗算の実体
  暗算については,心理学・大脳生理学の先生方が種々調査研究しておられる.
しかし、珠算式暗算は「脳裏にソロバン珠の像を画いて計算するのである」については、元徳島大学教授 小田信夫¹氏のつぎの説が最も的確と思われるので,掲げてみたい.「…略…珠算家の中には,この像を残像²(after image)といっている人がある.いかにも,現実に生き生きと感覚される像である点において残像に似ている.だが,像の大きさや投写の位置が一定していて,残像の法則たる『エムメルトの法則³(Emmert’s Law)』に従わないし,また,残像は外界刺激が停止した直後に経験される現象であるのに,この像は,いつでも意のままに構成されるので,これを残像ということはできない.
  また、この像を表象像⁴(presentation)であると考えている人もある.たしかに,主観的に自由に写像することができ,その大きさについても,エムメルトの法則に従わない点など表象的特質はもっている.だが,さきに述べたように,生き生きとして体験せられ,残像に近似した特質を有する点において,普通の表象像とは区別されねばならない.
  すなわち,この像は,残像のごとくいきいきと感覚される像であると同時に,表象像のごとく主観的構成の性格を担っており,これらと同様,一種の記憶像(memory image)であり,いわゆる直観像(eidetic image)である.直観像素質は,9〜14歳にもっともあらわれ易いとされている.…略…」
≪雑誌教育科学・算数教育『暗算と筆算』明治図書出版≫
註1.小田 信夫(おだ のぶお)
  元徳島大学教授 教育心理学専攻 昭和58年7月3日逝去(83歳)   岡山県出身 東京文理大(現筑波大)卒 滋賀師範教授を経て24  年徳島師範(現徳島大)教育学部教授 40年退官 わが国で最初  に死後再審が確定した「徳島ラジオ商事件」に疑問を持ち 科学  者の立場から無実を追求したことでも有名.
註2.残像(after image)
  外部からの刺激が消えても感覚に残っている像のこと.残感覚.  主として視覚についていう.例えば,夕陽などを見つめた後に起  こる感覚現象.
註3.エムメルトの法則(Emmert’s Law)
  残像の大きさは,それが投影される面までの距離によって,はな  はだしい影響をうけるもので,距離に比例して増減する.
註4.表象像(presentation)
  知覚に基づいて意識に現れる外的対象の像.対象が現前している場合=りんごを見たとき(知覚表象),記憶によって再生される場合=りんごを思いだしたとき(記憶表象),想像による場合=何かを空想したとき(想像表象)がある.感覚的・具体的な点で概念や理念と区別される.
註5.直感像(eidetic image)
一度見たことのある風景や事物が,再びほとんどそのままハッキリと認知される現象.また,その心像.幼児や未開人に多くみられる.


6.珠算式暗算を可能にした要件
 (1)「数図」
   古来多くの数学教育学者が,数の認識の補助手段として,いろいろな数図を考えた.
  サイコロの目のような表し方で数を表示した図で,
   例えば ・ ‥ … ‥‥ とか ・ : ∴ :: などである.
   @ 各数の区別を,明瞭にすることができる.
   A その形象を心像として把握させて,明瞭な数観念を形づくらせる.
   B さらに,これらに基づいて,計算の基本原理を内在的に直観させることができる.
   いくつかの数図をみても,1から4までは,どのように配置しても,容易に数を認識することができるが,5になるとどのように工夫しても,難しいので,一般的には,数を瞬時に認識できる限界は4であるといわれている.
   学者によれば「動物が識別することのできる数は,3ないし4で,人間も他の動物と変わったところはない」ということである.
また,シュメール数字もローマ数字もその表記方法をみると「同じ数記号を並べるのは,3個までである」という.ここでは限界を3としている.
   ソロバン数図は,数認識の限界を4として,五玉は形としてではなくて「ある・ない」の区別によって,1桁の数を認識するという理想的な数図といえるのである.                
 (2)一玉については,心理学の「知覚」でいう『近接の要因』に添っている.
  知覚の形態化が成立の条件  ≪西川好夫著『図説心理学入門≫ 
@.近接の要因 A.類似の要因 B.良い形の要因 がある.        
    ◎ 近接の要因                              
    他の条件が同じならば,近接しているものは,まとめて知覚される傾向が大きい.
 A図 ⇒    |  ||  ||  ||  ||  |
          イ   イ ロ   ロ ハ  ハ ニ  ニ ホ  ホ
 B図 ⇒     ・   ・ ・   ・ ・    ・ ・     ・ ・  ・
    上のA図の線やB図の点を見たとき,イとイ、ロとロ、ハとハ、ニとニ、ホとホが一つのグループであるのに,近接しているイとロ、つぎのロとハなどの線や点が一つのグループとして見える.

◎ 数学の歴史書で「ローマの溝ソロバン」を目にすることがあるが,大英博物館所蔵ソロバンの写真掲載が多く,仄聞するところによると,大英博物館ではレプリカだということで,処分したとのことである.現存するものとしては,ローマ国立博物館・パリ国立図書館・ドイツ博物館所蔵などが挙げられるが,確実に見ることができるのは,パリの国立図書館である.
   「ローマ式溝ソロバン」の構造は,上の玉1つ・下の玉4つで,今広く使われている「四つ玉ソロバン」にそっくりなので,これを見るとなんとなくうれしくなって安心する.ところが,その操作方法は根本のところで異なるのである.
    @「ご破算」は,五玉も一玉も全部下げた状態で「0」を表す.
    A「布数」は,上がっている玉で数を表すのである.
     例えば,8を布数する場合.
ローマでは,上の玉一つと下の玉三つを動かして表示するのであるが,上の玉と下の玉が離れているのである.(このような例は,韓国の『九数略』に一件,目にするのみである.)
日本では,ゴハサンをして全部の玉を梁から離して0とし,上の玉をさげて下玉を三つあげて表示するので,当然ではあるが,上の一つと下の三つをくっつけて表示される.
   このことは,「近接の要因」からみて大変重要なことと私は考える.
   もし,日本のソロバンもローマのような布数法であれば,操作がスムーズにできないばかりではなく,おそらく珠算式暗算の習得は困難で,現在のようにひろく普及することはなかったであろう.
(3)「ソロバン玉」という具体的対象がある.
   ソロバンという具体的な対象物を媒体としての「ソロバン数図」に裏打ちされているので,脳裏に写像しやすい.特に,現在一般に使用されているソロバンと同条件であることが重要である.
  @ 日本のソロバンの玉が,菱形であるので一玉の数の区分がつきやすい.
  A 玉の色彩が,一般に柘植(つげ)玉の黄色,または樺玉の明るい茶色であることによって写像がしやすい.
  B 玉の大きさも、暗算の桁幅に影響が考えられる。

以上.種々の角度から日本の「ソロバン」と「珠算式暗算」の優位性について考察を加えてみたが,珠算人の視点ということで我田引水の感があると思うので、ご批評ください
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珠算の歴史

 珠算の歴史

T.日本伝来まで
[1]珠算史年表
B.C.2〜3000ごろ  1 メソポタミア地方で「砂ソロバン」が使用された
B.C.  500ごろ  2 エジプト,ギリシァ,ローマなどで「線ソロバン」が使用された
B.C.  300ごろ  3 ローマで「溝ソロバン」が使用された

A.D. 200ごろ  4 「数術記遺」(徐岳撰・甄鸞註)に「珠算」の語がある
700ごろ   5 「第一期 数学伝来」中国から『九九』『算木』『暦』が伝わる
1000ごろ  6 「清明上河図」(北京 故宮博物院所蔵) 
1299 7 「算学啓蒙」(元 朱世傑 著)
1310    8 「乾坤一担図」(上海図書館 蔵)
1371    9 「魁本対相四言雑字」(金陵王氏 勤有書堂 新刊)
1436     10 「新編対相四言」(コロンビア大図書館蔵)
1570までに 11 「第二期 数学伝来」中国から『ソロバン』『割り声』が伝わる
1573     12 「盤珠算法」(内閣文庫 蔵)
1593     13 「算法統宗」(明 程大位 著)

   
[2]解 説


【ソロバンとはなにか】
  西洋では「Abacus」と呼ばれ、「ローマソロバン」や「ロシアソロバン」はよく知られるところである。

(1)「アバカス=ソロバン」の定義
  ソロバンとは、位取り法に基づき、比較的小さな箇物(小石・珠・ボタン・釘・札
など)の算顆によって計算をなすに役立つところの物的構造である。(吉田隆、『記数法の展開・位取法・算盤』)

(2)「アバカス=ソロバン」の分類(長谷九郎、『珠算春秋17』)
  T.ダスト・アバカス(Dust Abacus)《塵ソロバン》
   @.土砂ソロバン   Dust(地面で計算),Brettod Tabel(砂を敷いた盤)
   A.粘土ソロバン   粘土盤で計算
   B.蝋ソロバン    枠のある木製ボードに蜜蝋を固めて計算
  U.ライン・アバカス(Line Abacus)《線ソロバン》
   @.縦線ソロバン   サラミス島の計算盤
   A.横線ソロバン   レコードの記述した計算盤
   B.縦横線ソロバン  算木(日本で算盤=サンバンを用いる)
  V.グルーブ・アバカス(Grooved Abacus)《溝ソロバン》
   @.両頭玉ソロバン   ローマソロバン
   A.古代中国ソロバン  游珠ソロバン
  W.ビーズ・アバカス(Bead Abacus)《孔玉ソロバン》
   @.横軸ソロバン  ロシアソロバン
   A.縦軸ソロバン  東洋ソロバン
    @単一ソロバン
     イ.丸玉長軸ソロバン  中国のソロバン
     ロ.稜玉短軸ソロバン  日本のソロバン
    A上下ソロバン  両側ソロバン 
    B逆さソロバン  パスケ式(デンマーク)
  X.ロッド・アバカス(Rod Abacus)《棒ソロバン》
   @.フリー    算木(中国では算盤:サンバンを用いないで、位によって方向を変える)
   A.固定     龍籌(田中佳政・数学端記)

  もちろん、文明の違いによってソロバンの原型が異なったり、長い間に他の文明の影響を受けて発達したり、この表の中で独自に発達したりして、現在に近づいていったのである。

T.日本に伝来するまで

(1)「砂ソロバン」
  紀元前2〜3000年前ごろ、メソポタミア地方などで、地面に線を引いて、その上に小石を置いて計算をしていた。

(2)「線ソロバン」
  2500年くらい前、エジプト、ギリシァ、ローマなどでは、盤の上に線を引いて、その上に、コインのようなものを置いて計算をしていた。

(3)「溝ソロバン」
  銅版に溝を掘って、玉状のものを(上1個・下4個)はめこんで、持ち運びに便利なソロバンが、ローマで作られた。
  B.C.3世紀ごろから、インド・アラビア数字が普及するA.D.14〜5世紀ごろまで使用されていた。現存するローマ・ソロバンは5,6箇所にあるらしいが、確実に見られるのは、フランス・パリ の国立図書館(2F)である。

(4)『数術記遺』に「珠算」という語がでている。
  @『数術記遺』(スウジュツキイ)
    漢末(2世紀ごろ)の徐岳が撰し、北周の甄鸞(ケンラン・シンラン)が註釈を加えたという。
  A この書には、「積算(積等)、太乙(太一)、両儀、三才、五行、八卦、九宮、運算、了知、成数、把頭、亀算、珠算、計数(計算)」の十四の計算方法があげられ、その十三番目に「珠算」が説明されている。
    「珠算控帯四時経緯三才」とあって、それに「刻版(板)三分其上下二分以停游珠中間一分以定算位位各五珠上一珠與下四珠色別其上別色之珠当《五が欠落?》其下四珠珠各当一至下四珠所領故云控帯四時其珠游於三方之中故云経緯三也」と甄鸞が註釈をつけている。
  B この註釈から想像すると、「天一・地四(五珠1顆・一珠4顆)で、一桁に0〜9まで布数できるソロバン」であって使っていない珠を「游珠」といっていることから、このソロバンを通称『游珠算盤』(ユウシュ・ソロバン)ともいわれている。

 (5)【 数学の伝来 】
  日本に数学が伝来したのは、大きくは三回あった。

   第一期は、奈良時代前後で、中国から「九九」「算木」「暦」などが伝来した。

   第二期は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、やはり中国から「ソロバン」とその計算のための「割り声」が伝わった。

   第三期は、学制頒布(明治5・1872)以後で、ヨーロッパから「インド・アラビア数字」と共に「西洋数学」が輸入された。
 
◎[ 第一期 数学伝来 ]「九九」「算木」「暦」が伝わる。

 ≪ 九 九 ≫
  @ 三千年以上前にはあったと思われる。敦煌・居延・楼蘭などの遺跡から出土。敦煌の『九九の表』は、木を削った薄い札(木簡)に書かれている。
  A 初期のころは、中国でも日本でも『九九表』は『九九八十 一』から始まっているので、この歌訣を「九九」といった。
    したがって、「九九」といえば、掛算の九九のみを指すのである。これは、「当時計算を行うのは特権階級であって、九九を一般人に知らせないために、わざとむつかしい方から、唱えさせたらしい。」(大矢真一・和算以前)
  B 「九九」が日本に伝わると、当時の知識人の間で拡がったことが、『万葉集』の歌でみられる。凡そ4,500首のうち17首に戯訓として読み込まれている。
   十六:しし(5首)、八十一:くく(5首)、十五:もち(2首)、二二:し(2首)、
   重二:し(1首)、三五:もち(1首)、二五:とお(1首)の17首。
    ただし、東歌や防人の歌にはみられないということから、九九伝来の時期が想像できる。

  ≪ 算 木 ≫
@  中国では、「策・竹策・籌(チュウ)・籌策」や、後述の 「魁本対相四言雑字」では「算子」とある。竹または木の棒状の片を、布や紙で作った「算盤(サンバン)」上に並べて数を表し、配列を動かして四則・開平・開立などの計算を行った。
  A 日本では普通「算木」とよばれた。現存する「最古の算木」は、奈良の東大寺二月堂にあって、毎年三月営まれる修二会(シュニエ:お水取り)に全国から寄せられた浄財の分配の計算に使ったという。 

  ≪ 暦 ≫
 @ 日本で施行された暦
  〔 暦   法 〕  ( 作 者 ) (中  国) ( 日 本 での施行年 ) (使用期間)
   元 嘉 暦:ゲンカ      何承天  445年  692年・持統天皇6   5年 
   儀鳳暦:ギホウ(麟徳暦) 李淳風  665年  697年・文武天皇1   67年
 大 衍 暦:ダイエン     僧一行  729年  764年・天平宝字8     94年  
   五 紀 暦:ゴキ       郭献之  762年  858年・天安2        4年    
   宣 明 暦:センミョウ   徐 ミ  822年  862年・貞観4      823年
   貞 享 暦:ジョウキョウ 渋川(保井)春海  1685年・貞享2       70年
   宝 暦 暦:ホウレキ   安倍泰邦ほか    1755年・宝暦5      43年
   寛 政 暦:カンセイ   高橋至時ほか    1798年・寛政10      46年
   天 保 暦:テンポウ   渋川景佑ほか    1844年・弘化1       29年
   太 陽 暦:タイヨウ            1873年・明治6
◎旧暦の明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日とした。  

  A「太 陽 暦」(Solar Calendar)
    太陽が、春分点から次に春分点に戻るまでの時間を、一太陽   年として標準にとった暦を「太陽暦」という。
    一太陽年は、365.2422(365日5時間48分46秒)平均太陽日である。
    現行の暦は、グレゴリオ暦という太陽暦である。
365日を一年とし、一太陽年の端数を補正するために、4年ごとに閏年(うるう・Leap year)をおき、その年を366日とする。
    さらに、西暦紀元の年号が4で割り切れる年はうるう年であるが、400で割り切れない年はうるう年としないで平年とする。 
    百年目には0.78日、四百年では3.12日の差が出るので、1582年ローマ法王グレゴリオ十三世は、置閏法を改正して、四百年に3回閏年を省いた。


(6)「清明上河図」(北京 故宮博物院 蔵)にソロバンらしき物が描かれている。
  @ 「清明上河図」(セイメイ ジョウガズ)
    張択端の作。縦25.5p 横幅5.25m の絹本に着色された絵巻物で、登場人物は770名にのぼり、女性は少なく、大多数は男性である。20艘余りの船舶、各種の車両、牛、馬、駱駝などの動物、街路、屋敷、店舗などを、迫真的に描いた力作である。
    製作時期は、おそらく、北宋の最晩期・徽宗皇帝の治世(1100〜1125)の頃と目される。(週刊 朝日百科《世界の歴史4   4》)
  A 清明節(二十四節気の一つ、春分後15日目、太陽暦の4月5日頃)で賑わう北宋(960〜1127)の首都卞京(ベンケイ・開封)の風物を描いており、店舗の一つの薬局のカウンターに、ソロバンらしき物が見える。 
    そのソロバンらしい物は、枠と珠はわかるのだが、梁に相当するものが見当たらないことから、これは、銭板子(木の板で作られて、溝が並べてある硬貨を臨時に集め入れる貯銭の板)ではないかとの疑問もないではなかったが、殷長生先生(中国珠算協会副会長)は故余介教授と同様『算盤』と判定された。   (鈴木久男)
  B これは、北京の「故宮博物院」に所蔵されている。日本の敗戦後、国外逃亡を企てたラストエンペラー・宣統帝溥儀(フギ)は身柄を拘束された時、この図巻だけを肌身につけていたという。戦後新しく紹介されたおびただしい数の中国絵画の中で、芸術性、資料性から言って、本図を最高とする評価は今でも変わっていない。(毎日新聞・1996.5.19)
  C 台湾の故宮博物院にも、清院本の清明上河図がある。1736年勅を受けて5人の画家が合作したもので、ソロバンが描かれている位置は異なる。店は両替屋らしい。なお、台湾の絵の「陶板画」が、「京都府立陶板名画の庭」(京都市左京区下鴨半木町)に展示されている。(西川正昭氏の情報)

 (7)「算学啓蒙」(サンガクケイモウ)
  @ 1299年刊、元の朱世傑の著。
   全三巻・二十門、259の問題を収めている。 
   全門に詩歌による説明がある。完成に近い「九帰歌訣」があり、詩歌に撞帰還原の説明などがあって、斤下留法も完備されている。「帰除法」を正術でないとしながら、商除法は開方以外に説明していない。和算に至大の影響を与えた書である。(珠算算法の歴史より)
  A 久田玄哲が、明暦のころ(1655〜1657)京都 洛東 臨済宗の総本山「東福寺」で発見した。
    久田玄哲がある日、東福寺に参詣した時、たまたま、仏書の虫干しの日であって、仏書に交じって『算学啓蒙』のあることを知り、金銭を贈り、譲り受けた。
    天元術は、最後の『開方釈鎖門・34問中27問』で解いてい る。(桑原秀夫・我国における天元術の開発とその普及について)
  B 『算学啓蒙』は、江戸時代の和算にとって最も影響を与えた書物である。17世紀のころ、それに句読や送り仮名をつけた訓本が刊行せられたが、少し遅れて建部賢弘(関孝和の高弟)は『算学啓蒙諺解大全』全六巻を著した。諺解(ゲンカイ)とは日本語による解説を意味する。この書は、算学啓蒙の注釈書として最も優れた書物であった。(中橋貞造・日本珠算思想史要論)       

 (8)「乾坤一担図」(ケンコンイッタンズ・上海図書館 蔵)にソロバンがみえる。
  元(1271~1368)の王振鵬が1310年に描いた。貨郎(小間物売り)が商品を前後に担っていて、後ろの荷の上にソロバンがみえる。    梁・桁・珠がはっきりしていて現代の中国算盤と同じである。

 (9)「魁本対相四言雑字」(カイホン タイソウ シゲン ザツジ)にソロバン図(五珠2・一珠5・10桁)がある。
  @ 1371年の原著、陳伯寿復刻の安田文庫本は、関東大震災で消失したが、稀書複製会覆刻本(1920.7.28・米山堂発行)を、下平和夫氏が入手(1970)。1984年7月に復刻された。
  A 全巻十葉(20ページ)からなっており、一字のもの224文字 224図、二字のもの84語84図、毎ページ4行で右に文字があり、左に図絵がある。
    鈴木久男氏によれば、この本の図解によって、中国の文字の意味を、活字工に知らしめたということである。子供に文字を覚えさせるための絵本に利用したのかも知れない。

 (10)「新編 対相四言」(1436年・コロンビア大図書館 蔵)にもソロバン図(五珠2・一珠5・9桁)がある。「魁本対相四言雑字」を模 写して作成したものと思われる。
  中国では、現存する最古のソロバン図は、この「新編 対相四言」といわれていた。

 (11)[ 第二期 数学伝来 ]「ソロバン」「割り声」が伝わる。

 ≪ 割り声 ≫
 @ 割り声は、中国の『算法統宗』などでは、「九帰歌」といわれた。
   わが国最初の刊本数学書といわれる『割算書』(1622・毛利重能)には「八算之次第」として述べられている。
   つぎに、伝来以来伝承されてきた原型といわれる「割り声」を掲げる。(唱え方は、地方や時代によって多少異なる。)

  (二)
  二一天作五(ニイチ テンサクノゴ)、二進一十(ニッチン インジュ)、四進二十、六進三十、八進四十

  (三)
  三一三十一(サンイチ サンジュウノイチ)、三二六十二(サニロクジュウノニ)、三進一十(サッチン インジ ュ)、六進二十、九進三十

  (四)
  四一二十二(シイチ ニジュウノニ)、四二天作五(シニテンサクノゴ)、四三七十二(シサンシチ ジュウノニ )、四進一十(シッチンインジュ)、八進二十

  (五)
  五一加一(ゴイチ カイチ)、五二加二、五三加三、五四加四、五進一十

  (六)
  六一加下四(ロクイチ カカシ)、六二三十二、六三天作五、六四六十四、六五八十二、六進一十

  (七)  
  七一加下三(シチイチ カカサン)、七二加下六、七三四十二、七四五十五、七五七十一、七六八十 四,七進一 十

  (八)
  八一加下二(ハチイチ カカニ)、八二加下四、八三加下六、八四天作五、八六七十四、八七八十六、八進一十

  (九)
  九一加下一(クイチ カカイチ)、九ニ加下二、九三加下三、九四加下四、九五加下五、九六加下六、九七加 下七、九八加下八、九進一十(クッチン インジュ)

 (12)「盤珠算法」(バンシュ サンポウ・1573年・内閣文庫 蔵)
  《鈴木久男、中国の珠算・算盤発展史より》
 @ 正しくは「新刻訂正家伝秘訣盤珠算法士民利用」で、徐氏心魯訂正、熊氏台南刊行。
   藤原松三郎博士によって紹介された。(1940・支那数学史ノ研究、東北数学雑誌)
 A 表紙裏に「算法統宗の師生問難図」「算法便覧の算法門図」   「算法統宗大全の盤珠式図」のようなソロバンを手にした人の図がある。
 B 本文の上部にソロバン図(天一・地五)がのせられている、これは算書として最古のソロバン図である。
   隷首上訣として、上法、退法を説明しており、塵劫記のごとく123456789の数字をおいている。加減乗除などにおける運珠法の説明は詳細である。乗法は法先呼によっている。
 C 指明歌訣などとあるが、夏源沢の指明算法(1439・現存しない)を引用したものかもしれない。
 
 (13)「算法統宗」(サンポウ トウソウ)が著された。
  明の程大位の著になるもので、明末の代表的算書である。
  程大位は、字を汝思、賓渠と号した。新安の人である。
  「首編」をのぞき十七巻592問を収めており、先に「直指算法統 宗」を、後に「新編直指算法統宗」を、更にその簡略版として「新編直指算法纂要四巻108問」を編集した。 
   序文は1592年であるが、実際の刊年は1593年であろう。この書を著した時は六十歳以上であったという。この書に独創性は見られないが、その編集は巧みである。
   1716年の程光紳の序文によれば、風行海内、坊間刻本、無慮数十とあるから、日本の塵劫記ほどではあるまいが、当時の算学書のベストセラーであったに違いない。
   江戸時代を通じ和算に非常な影響を与えたといわれる書であ り、塵劫記寛永八年版(1631)にも程大位の書によったことが記されている。
   延宝四年(1676)には、湯浅得之が訓点本を刊行している。19世紀の書にも(たとえば算学稽古大全や算法新書など)その算盤図と説明が算法統宗のごとくに記されている。(鈴木久男・図説中国の珠算・算盤発展史)


 U.日本へ伝来のころ

 [3] 珠算史年表(その2)
   1573まで  14 「日本風土記」に『算盤・所大盤・そろ(お)はん』と記載
   1585 15 「日欧文化比較」(ルイス・フロイス)に『Jina』と記載
   1592    16 「前田利家が使用のソロバン」(前田尊経閣 蔵)がある
   1595    17 「ラ・ポ・日 対約辞典」に『Soroban』の訳語がある
   1600ごろ  18 「南蛮屏風」(ポルトガル美術館 蔵))
   1607    19 「駿府城・築城図屏風」(名古屋市博物館 蔵)
   1610    20 「職人尽絵」(狩野吉信 作・川越 喜多院 蔵)
   1610    21 「たはらかさね絵巻」(東京大学史料編纂所 蔵)
   

  

[4] 解 説(その2)

  A.日本への伝来時期について
ソロバンがいつ日本に伝来したかは、鉄砲の伝来(1543.8.25 火縄銃が種子島に)のように明確な年期はわっかっていない。

  研究者の説をいくつか挙げてみることにする。
 @ 高井計之助『算盤雑話・S..6.10.5)』
凡そ三百六・七十年前、即ち元亀・天正の頃ではないかと存じます。其の頃に、明の商人の手に依って、最初は泉州堺辺りへ、其の後肥前の長崎辺りへ伝来したのではなかろうかとぞ存じます。
 
 A 山崎與右衛門『長崎算盤覚書』
 中国では、『九章詳註比類算法大全(1450)』「算盤をつかわずにできる写算(筆算のこと)…」。『古今算学宝鑑(1524)』どちらにも「ソロバンによる加減口訣」を掲載している。
 つまり、中国では、15〜16世紀初期には計算用具として頻りに使用されていた。
 従って、高井先生の説よりも、30〜40年早く、16世紀の前半の頃ではないかと思う。
 
 B大矢真一『和算以前・塵劫記(岩波文庫)』
 ソロバンがいつ伝わったかは、今のところわからないというより仕方がない。
 豊臣秀吉の朝鮮の役のとき、すなわち文禄という時代になると、
*実物が残っており、*絵画もあり、*辞書にはソロバンという語が出てくる。
にもかかわらず、それ以前にはソロバンという語は全く記録されていないといってもいいようである。
 しかし、いろいろの事情からみて、この時期にソロバンが伝来したとするのは、時期が遅すぎる。
 ソロバンとその計算法が、貿易のため中国に赴いた商人の手によって、わが国に齎されたということは信用してよいだろう。

 C 長谷九郎『月刊珠算界 138(S 19.1)』
 十五世紀の初頭、室町時代(1338〜1573)の初期、勘合貿易の開始とほとんど同時に輸入されたものである。
 
 D 山路 實『定説によらない珠算史の一考察』
 十露盤伝来の時期は、おそらく十五世紀以前であり、その伝来地は摂津国堺であると推測する。

 E 鈴木久男『珠算の歴史、図説 中国の珠算・算盤発展史』
 推定を加えれば、ソロバンの渡来の時期は、永禄(1558〜1569)年中、室町時代の末期とみてよい。
 1570年代の日本に算盤が伝わっていたこと、それがソロバンと呼ばれていたことを窺い知れる。


  B. 史 料
 @ (14)「日本風土記」(1580)「日本考」(1592)
 13〜16世紀、中国沿岸を跳梁した倭寇の対策として、日本の状態を知る必要から,1573年頃までの「日本の、地理・歴史・風俗・いろは・歌謡・語音・文辞・詩・歌・将棋・囲碁など」を記した、『全浙兵制考』(1592年・侯継高著・朝鮮の役に関する資料)を作成した。その付録に、『日本風土記』(1573〜1580)があり、それを改題して『日本考』(1592〜1593)となった。
 巻の四 「器用の項」(最後のところに) 《所大盤  そおはん》=《所六盤 そろはん》 
○名古屋の早川武氏が見つけて、「珠算春秋」30号で発表。
◎渡辺三男著「訳註 日本考」によれば、所大盤の「大」は「火?」とあるが、火ということはありえないと思う。

 A  (15)「日欧文化比較」(1585、ルイス・フロイス著)に、『Jina』がでている。
 @.大航海時代叢書]T岩波書店(1965)「日欧文化比較」によると、
『われわれの間では、計算は鵞ペンまたは、数取札(tentos)でおこなう。日本人はジナ(Jina)を使っておこなう。』とある。
 A.ジョアン・ロドリゲス(1561〜1634)「日本大文典」(慶長9=1604・長崎学林・三巻770頁)に、『算盤(Soroban)すなわちジナ(Jina)、計算する道具』とある。
 B.ドアルテ・コレアの「島原一揆報告書」の文中に『Jina』がみえる。

 B (16)「前田利家のソロバン」
 前田利家が、文禄の役(文禄元・1592)に、肥前(佐賀と長崎の一部)名護屋の陣中で使用したといわれているソロバンが、「前田尊経閣」(東京・目黒)に所蔵されている。
*長さ16cm・幅7.6cm・高さ(深さ)1.3cm *桁数 9桁 *枠 黒柿または黒檀
*底板 紫檀 *桁材 銅線 *玉材 獣角または獣骨 *天二顆・地五顆
*枠の縁に、象牙か獣骨で象嵌してある。*玉は不揃いである。
*元禄元(1688)年に「室新介(鳩巣)と小瀬甫庵(太閤記の作者)」が認めた、「由緒書」がある。

 C (17)「辞書」に出ている。 
*『ラ・ポ・日(拉・葡・和)対訳辞典』〔文禄四年(1595)・天草耶蘇学会林版〕
 Abaculus(アバクルス)と Calculus(カリクルス)の項に、Sorobanが出ている。
「計算のために使われる器具。算。ソロバン。」
*『日葡辞書』〔慶長八年(1603)・長崎耶蘇学会林版〕
「珠を針金に刺しとおした小さな板で、支那や日本で計算に使う。」

 D 「絵画の中のソロバン図」

 (18)『南蛮屏風』[1600〜1610・ポルトガル国立ソアレス・ドス・レイス美術館 蔵]
   屏風の左端に、海に面したポルトガルの商館らしい建物の中で、中国人らしい人物がソロバン(天一・地五、12桁、珠は菱形)を弾いている。

(19)『築城図屏風』6曲一双(愛知県指定文化財)[駿府城・1607・名古屋市博物館 蔵]
   「駿府城の築城、加賀の前田家が手伝いの普請をしている場面で、石や木材を運搬する光景などが詳細である。」
   天二・地四、9桁(右)12桁(左)「五珠二つなのに、一珠四つである」のは、画家の省略であろう。(鈴木久男・ピント)

(20)『職人尽絵』24面の屏風図(重要文化財) [1610・狩野吉信・埼玉川越 喜多院 蔵] 
   縫取師のところにあるもので、階上には4人の男女が刺繍をしている。
   階下では、両替屋が中国式の大きいソロバンを弾いている。

(21)『たはらかさね耕作絵巻』[1610・東京大学 史料編纂所 蔵]
   お米の一生ともいえる絵巻物で、最後の部分は、俵につめられた年貢米がお役所の倉に収められるところですが、勘定役の前にソロバンが置いてあり、もう一人の男が記録しています。(珠算史研究)


 V.日本に伝来してから
 [5] 珠算史年表(その3)
    1612    22 「大津」でソロバンが作られた 
   1622  23 『割算書』(毛利重能 著)
   1622    24 『諸勘分物』(百川治兵衛 著)
   1627    25 『塵劫記』(吉田光由 著)
   1645    26 『新編諸算記』(百川忠兵衛 著)「亀井算」生まれる
   1717    27 『数学端記』(田中佳政 著)「龍籌」を製作
   1781    28 『初学算法』(乳井 貢 著)「四つ玉ソロバン」を提唱
   1785    29 『版 籌』【乳井 貢 著】「筆算用・版籌」を製作
   1857 30 「筆算の解説書」発行される。
     『西算速知』(福田理軒 著)『洋算用法』(柳河春三 著)
明治 5年(1872)  31 「学制頒布」
         32 「共興学舎」(校長 井上親亮)開校、≪伊勢百日算≫始まる 
   1928    33 「珠算証明試験」(東京市立実業学校珠算奨励会)始まる
   1931    34 「珠算能力検定試験」(東京商工会議所)に移行
   1940    35 「珠算検定試験」(大阪商工会議所主催)施行
   1940  36 「全大阪珠算協会」設立(社団法人 大阪珠算協会の前身)
   1944    37 「珠算能力検定試験」(全国商工経済会)全国統一
   1946    38 「計算機と競争して勝つ」(アーニー・パイル劇場)
   1956    39 「珠算段位検定試験」(社団法人大阪珠算協会主催)施行
   1965    40 「視覚障害者のための珠算検定試験」始まる
   1969    41 「暗算検定試験」施行 

 [6] 解 説(その3)

 (22)「大津ソロバン」
  大津ソロバン「片岡家」家伝によれば、「慶長十七(1612)年明人肥前長崎ニ来ル者、算盤ヲ携帯ス、此時先祖庄兵衛長崎奉行は瀬川左兵衛ニ附属シテ同所ニ出張シ在リシニ、之ヲ左兵衛ニ申稟シ、明人ニ就テ算盤製造法ヲ授カリ、帰郷ノ後、製造シテ幕府ニ献ス、幕府勘定御用調進ヲ命シ、其製品ハ調査シテ、品質ニ随テ価ヲ定メ、烙印シテ発売セシメラル、徳川氏一代ハ右ノ規定ニテ施行セシガ、旧説及ビ幕府下付ノ書類ハ中世紛失スルヲ以テ、端書ト伝説トヲ取合セテ記述スルコトヲ上文ノ如シ、但往時明人ヨリ授与セシ古算盤一面ハ今尚伝蔵ス」とある。

 (23)「和算書」
  『算用記』(著者不明)が刊行された。内容などから、16世紀末から17世紀初頭の作と思われる。紙数19枚、印刷は木製活字本である。龍谷大学所蔵。
『割算書』(毛利重能著・元和八:1622年)
刊年のあるわが国最初の刊本和算書である。内容は『算用記』とほとんど同じで、木版摺。東北大学に3本・日本大学に1本現存する。いずれも表紙がなく、書名は不明であったが、昭和2年『日本古典全集』出版の際、「割算目録之次第」とあることから、『割算書』としたともいわれる。    

 (24)『諸勘分物』(元和八:1622年)
  百川治兵衛の稿本で、佐渡において弟子衆に書き与えたまきもの。2巻のうち第1巻は失われている。写本は日本大学所蔵。

 (25)『塵劫記』(吉田光由著・寛永四:1627年)
  現存第二番目の刊行和算書である。内容が斬新で、和算は『塵劫記』から始まったといえる。江戸時代を通じて数学書のことを『塵劫記』といい、『塵劫』と名のつく本が、これから明治37年(1904)までの間に400種を超えて発刊されたという。

 (26)『新編諸算記』(正保二:1645年)
  百川忠兵衛著、現存するものは、明和元年(1655)の『しんへんさん記』がある。
  商除法(亀井算)を述べている(初見)。「かしらかけさん」(破頭乗法)、「下かけざん」(尾乗法)、「かげのかけざん」(省一乗法)、「中わり」(暗算による割算)を説明している。天一地五のソロバンを前提としている。
 
 (27)『数学端記』(田中佳政著・享保二:1717年)
  巻一に「算木」を箱型に固定した「新制龍籌図」がある。仕組みは五つ玉ソロバンと同じである。巻末にアイウエヲ等を使った「組み合せ」が掲載されている。  
 
 (28)『初学算法』(乳井 貢著・天明元:1781年)
  ソロバンは「天一地四」でよい、梁には一十百千万などの命位を刻めばいろいろと利用できる。位を定めてから計算すること(定位布数法)。等を主張している。わが国で最初の「四つ玉ソロバン」の提唱である。

 (29)『版籌』(乳井 貢著・天明五:1785年)
  「版籌」という特製の筆記板でする「筆算」を説いている。中国の『暦算全書・筆算』(梅 文鼎著・1693年)を参考にした、日本で最初の「(漢字使用の)筆算」の解説書。

 (30)「筆算」の解説書が発刊される。
西算(中国経由の数学)の『西算速知』(福田理軒著・安政四:1857年)は、(アラビア数字を使わずに)横書き(暦算全書・版籌は縦書き)で漢数字のみ使用して、加減乗除だけを説明している。
洋算(西洋:最初はオランダから、直接移入の数学)の『洋算用法』(柳河春三:しゅんさん著・安政四:1857年)は、アラビア数字を用いた筆算に関する最初の文献である。

 (31)「学制頒布」(明治五:1872年)
  日本で最初の近代学校制度に関する規定。国民皆学の理念・実学の重要性・受益者負担の原則などを説いた太政官布告が出された。
  最初は、「数学は和算を廃し、洋算を奨励する」ことにしたが、指導者不足などの理由からソロバンの指導を当分の間認めることにした。 

 (32)「伊勢百日算」(明治五:1872年)
  今の三重県四日市の東日野で「井上親亮」が、伊勢国員弁郡の「一色正芳」が考えた「百日稽古」を取り入れて「百日稽古塾:共興学舎」を開塾した。「授業は、農閑期の百日間を利用して、1日16時間:朝6時〜夜10時、割算を中心とした猛練習をして、百日間で実力を仕上げた」、これが世に謳われた「伊勢百日算」である。
  「共興学舎」からは、「川村貫治」を筆頭に多数の逸材が輩出されて、明治・大正・昭和から今日まで、珠算界のリーダーとして全国で活躍し斯界に大きく貢献した。
  「伊勢百日算:共興学舎」が近代珠算に残した功績は計り知れないものがあり、「井上親亮」は珠算界の「大恩人」である。

 (33)「珠算証明試験」(昭和三:1928年3月18日・第3回:昭和5年まで)
  東京市立実業学校珠算奨励会が主催して、商業学校の生徒を対象とした、珠算の技量測定の試験を実施した。(珠算能力検定試験の前身である)

 (34)「珠算能力検定試験」(昭和六:1931年)
  主催を「東京市立実業学校珠算奨励会」から「東京商工会議所」へ移管して施行した。

 (35)大阪でも「珠算検定試験」
  大阪商工会議所主催による、「珠算検定試験(1級〜5級)」を施行。第3回(昭和17年)まで実施した。

 (36)「全大阪珠算協会」設立
昭和15(1940)年12月24日、大阪商工会議所が提唱して、「全大阪珠算協会」が設立された。(会員は中等学校・商業学校・青年学校・小学校・大阪珠算報国会:珠算塾)

 (37)「珠算能力検定試験」全国統一
 昭和19(1944)年10月15日全国統一した、「第1回 珠算能力検定試験」施行(現在の試験の回数は、これより数える)

 (38)「アーニー・パイル劇場」
  昭和21(1946)年11月11日「アーニー・パイル劇場」で、アメリカ軍人トーマス・ネイサン・ウッド(第240財務部隊所属・二等兵:在日最優秀電気計算機オぺレーター)の電気計算機と松崎喜義(日本郵政省貯蓄課・22歳)のソロバンが競技して、3対1・1引き分けでソロバンが勝った。
  アメリカでは、この報道が信じられず、11月15日ニューヨークの放送局で、アメリカ人と中国人学生と試合を行ったが、やはりソロバンが勝った。

 (39)「珠算段位検定試験」(社団法人大阪珠算協会主催)施行
  昭和31(1956)年4月22日 「第1回珠算段位検定試験」を実施した。
  昭和48(1974)年9月15日から、日本珠算連盟に移管「第1回段位認定試験」となる。

 (40)「視覚障害者検定試験」施行
  昭和40(1965)年11月12日 「第1回 視覚障害者検定試験」を実施した。

 (41)「暗算検定試験」施行(大阪・第1回:昭和44年6月1日)
  「珠算能力検定試験」から、「見取暗算」が除かれたので、新たに「暗算独自の検定試験」を実施した。

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ソロバン万華鏡

  ソロバン万華鏡(大阪珠算月報より)

1.「願いましては!」

  ソロバンの練習方法には、独算(個人で行う)と対算(複数で行う)とがあるが、対算の代表的なものは読上算である。

  読み手が使う言葉を記してみると、
 (1)開始詞・枕詞・冒頭辞
    願いましては。上げては。御破算で。御破算で願いましては。更に上げては。
    払っては。置いては。
 (2)合詞・間辞
    一口ごとの語尾に「也」を入れて句切る。
    加えて。尚加えて。尚足してが。
    引いては。引いてが。取ってが。尚引いては。尚お差しが。尚取ってが。
    大きく。小さく。(例えば一問題中に、十億と十万が重なるような場合)
 (3)結び詞・終辞
    ……では。……は。……也では。……そこでご覧。
  などがある。


  その中で最初にある「願いましては」について、なぜ、読み手が置き手にお願いするのかについて、述べてみます。
「江戸時代の商家では、一日の商いの〆をその夜行った。大切な計算であるので、手代か小番頭が大福帳の金額を読み上げて、主人や大番頭がソロバンに入れるのである。
  手代など下の者が、上の地位の人に読み上げるので、『では、読み上げますからよろしくお願いします』という意味で、『願いましては!』と言ってから読み始めた。
  その名残りが今に伝わって、全国に広がったのである。」
 
 因みに、桑名の曽我和三郎先生によれば、伊勢百日算では、「上げては!」であったとのことでした。私も「上げては!」で習いました。



2.「運珠・運指」について

  歌舞伎の中村勘三郎が「継承文化で大切なのは、守りと進歩である」という。
  「守り」とは正しく伝承することであり、「進歩」とは次代へより良い伝統として継承することである。常に「温故知新」の精神を大切にして、基本を顧たいと思う。。

(1)運指法
 珠算の主眼は「正しく・速く」であるが、「迅速」を要求しだしたのは、ここ百年のことである。その第一要件といわれるのが「運指と運珠」である。
@一指法
 原則として食指(人差指)のみにて運算する。(川村貫治先生は一指法であった)
A二指法
 原則として、一珠の添入のみに拇指(親指)を使用し、残りの運珠は食指で運算する。
 今現在一般に行われていて、人間工学的にも最適と考えられる。
 「伊勢百日算」では、元来一指法であったが明治末期に二指法に切り替えられた。
B三指法
 中国ソロバンでは、親指・人差指・中指を使用する。
 上珠(五珠)は、頂珠(枠側の五珠)・内珠(梁側の五珠)の上げ下げは、ともに中指。
 下珠(一珠)を上げるのは親指、下げるのは人差指を使用する。
 (下珠=親指、上珠=人差指、頂珠=中指の説もある)
 「ロシア・ソロバン」では、人差指・中指・薬指を伸ばして使用。
C両手
 運算中に左手で、無駄珠・遊び珠等を取り除いて、盤面を修正する。
 一部の選手に見られるが、一般的ではない。

(2)運珠法
運珠については、二指法は述べる必要はないと思うが、一指法(食指)の場合のみ参考のために記しておきたい。

 天    ⇒   地   1+8    ↓@    4+3   ↓@ 
                       ↑A          ↓A 

 十位 ⇒ 天 ⇒ 地   10−4   ↓A   12−6   ↓A 
                    @↓ ↑B       @↓ ↓B

 地    ⇒   天   9−7    ↑A    5−2   ↑A 
                       ↓@          ↑@

 地  ⇒ 天 ⇒十位   8+3    ↑A    6+7   ↑A   
                    B↑ ↓@       B↑ ↑@

 私と同学年でなぜか一指法の人が居たが、五本の指を開いた形で人差指で運算していた。



3.「珠算盤の規格」

  日本では、一般に使用するソロバンについて、「日本工業規格(JIS)S6048−1968」で次のようなことが規定されている。
  @商用範囲 A用語の意味(名称) B種類(桁数) C材料(枠・玉・桁) D寸法 E構造(定位点は3桁目・一丁のソロバン玉には、同質の材料を用いる) F品質(玉の色は、目の衛生に有害な色を用いない。玉の動きは、安定した滑らかさであること) G試験方法(木材の圧縮試験・木材の曲げ試験・桁の強度試験) H検査 I表示(ソロバンは、一丁毎に適当な箇所に、製造業者名またはその略号を表示しなければならない)
 
 ≪中国数学史≫(銭宝j著・みすず書房・1990.2.28)によれば、
  十五世紀になると『魯班木経』に、珠算盤をつくる際の規格が記されている。
   算盤式
     一尺二寸長、四寸二分大、框(わく)六分厚、九分大、起碗底、綫(せん:線)上二子、一寸一分、綫下五子、三寸一分、長短大小、看子而做 
  『魯班木経』には、魯班仙師源流を述べる一篇があり、“皇明永楽間”なる言及があるところからすると、本書の著作は、永楽末(1425)年の後である。
  又『魯班木経』の算盤様式は依然として、やや原始的であり、上二珠と下五珠の中間には、横梁がなく、一条の縄で上下を仕切っている。
  ところが柯尚遷『数学通軌』(1578)によると“初定算盤図式”と称する十三桁の珠算盤図が画かれ、上二珠と下五珠のあいだを木製の横梁で仕切っており、すでに現行の算盤と大差はない。  
  かかる様式の算盤は、その製作年代は1578年を大きく離れないと思われ、それゆえ“初定“と称されるのであろう。
と述べられている。

◎ ソロバンの見分け方の一例を挙げておきます。
 @ソロバンとしての品位があるか。
 Aわく・はりに大きな、そり・ひずみ・傷はないか。
 Bわく材に、大きな節のあるものは、後で狂いやすく折れやすい。 C玉は、色むらの少ないものを選ぶ。(見た目だけでなく、眼のために良くない)
 D玉はまわしてみて、玉の峰に大きな振りはないか。縦から玉の並びをみて峰の良く揃ったものが良い。
 Eソロバンを真上からみて、玉の口と口とがよく合っているか。桁のチラチラ見えるものは玉の落ち着きがない。
 F玉の穴と桁とのすきまは適当か。JIS規格では、0.4o以下となっているけれど、あまり少ないものは新しい間の使いは良いが、後で動きが乱れるおそれがある。
 Gソロバンを振って玉をガチャガチャと動かしてみて、冴えた音のものが良い。材質・型・様式によって若干の差はあるが、ボチャボチャと柔らかい音より堅い音の方が良い。


4.「天下一」

  わが国の珠算の鼻祖毛利勘兵衛重能は、元和年間(1615〜1624)に京都二条京極において「天下一割算指南」という額を掲げて算学道場を開いたと伝えられる。
  また、元和八(1622)年刊行の「割算書」の末尾には『摂津国武庫郡瓦林之住人 今京都に住 割算之天下一と号者也』記されている。
実際、室町時代には、「天下一の剛の者(太平記)」とか「天下一品」などと「天下一」という語がよく使われたようである。
 
  信長が「天下布武」の印を用いるようになったのは、永禄十(1567)年、斉藤龍興を
追って岐阜を拠点としてからである。入京と畿内制圧を目指してのことであろう。
  天下とは、中央政権の所在地としての京・畿内をさす場合と、日本国の支配権をさす場合など多義的だが、ともかく畿内を制圧した者が、日本国の支配権を掌握しうることは明らかであった。
  職人達にとっても、京・畿内の最先端技術を持つ者の中で「天下一」は、そのまま「日本一」を意味していたのである。
  16世紀後半には「天下一」の称号が現れてくる。
 *「天下一与一」(多聞院日記・天正6年正月23日条)
 *「杉物師大工天下一と云う者、御見舞に参る」(尋賢記・元亀元年8月21日条)
 *「ぬし天下一藤左衛門」(津田宗達茶湯日記・永禄2年10月25日条)
 *「いかけの天下一南部の久治」(仝上・天正11年11月25日条)
  当時「天下一」の称号は「天下人」が公許するものとの認識があったと思われるが、信長や秀吉は、そのような公許などによって畿内の手工業者の集団を「天下一」の技術・技能をもつと認定した棟梁のもとに編成し、その組織を通じて職人達に「御用」を「天下」への役として務めさせたのである。≪週刊朝日百科・日本の歴史24≫


  「天下一」の呼称を禁止
  五代将軍綱吉が「生類憐れみの令」で狂気じみた施政を執っている最中に、誰が建議・進言したのか、天和二(1682)年7月「天下一」の文字を禁止したのである。
  秀吉は「天下一」と称する技能の達人・名人をあつめ、すべての技能を奨励したが、綱吉は、家康以来の自称天下人と豪語し「我れが天下一であるぞよ」との家訓の踏襲からか、何事によらず「天下一」の文字を禁止した。≪『割算書の本書名を探る』山路實著・昭和57年10月10日≫
  
  現存する『割算書』の全てに表紙がないのは、表紙に「キリスト教に関係のあることが記されていたのではないか」と言われているが、ことによると「天下一」の文字もあったのではないだろうか。



5.徳川家康と算勘

  「家康が、イギリス人ウイリアム・アダムスから幾何学を教わった≪薮内清≫」という話から、家康が数学に関心があったことがわかる。また、家康自身も数に強かったらしく、「家康が手の指を使って計算したことは有名である≪大矢真一≫」という。
  
  『前田利家行状』慶長四(1599)年 [日置謙編 加賀藩史料 昭和四(1929)年]
  「権現様(家康)に者 御算勘めいよ成 御上手に御座候、御指をひたと御折被成御考候処、少も違不申候由薬師寺宗仙院(元信)先年御咄に候。
  台徳院様(秀忠)にも言外の御上手に御座候、大猷院様(家光)は随分御発明至極の御事に候処、御算用之儀は一向御覚不被遊に付、台徳公より被仰進、御稽古被遊候様にとの御事にて、御勘定方新右衛門と申人、大猷公御前江被召出、算用の儀被聞召候処さてさて合点ゆかぬものかなと上意にて、其以後は御稽古の御沙汰なく成申旨、岡田豊前殿咄に而被聞召候。
  高徳院様(前田利家)には別而御上手にて被成御座候、御人数等之儀御つもり被遊候節の御算盤、はゞ三寸計長さ六七寸許にて、米か銀かの内一色の目をつもり申ものに御座候、常に御具足櫃に御入置被遊候、それにて毎度御人数図かりなど被遊候。
其後芳春院様(夫人)へ被遺、芳春院様より春好院様(後水尾天皇の皇女)へおゆづり被遊候、今井と申年寄女中、春好院様に相勤有之候処、右の御算盤を今井に御預被遊候、春好院逝去以後今井方に存之候を、相公様(前田綱紀)江あげ申候、于今御秘蔵被遊置候旨、同年(享保七:1717)二月御意也」

  これによると、前田利家については「陣中ソロバン」で知られるとおりである。
家康も秀忠も計算(胸算用)が得意であったらしいが、「お坊ちゃま」の家光は算勘が苦手だったようである。

  そのた、天正十(1582)年 秀吉が「備中高松城の水攻め」のための堤を築いたように、色々なところで、計算が必要であった。   
  その頃の武将で、細川幽斎、石田三成、長束正家、小西行長などが、ソロバンを使ったということである。≪『算盤雑話』高井計之助≫



6.「あばれん坊将軍」

  わが国の暦学に(西洋暦算の知識が移入されて)多大の影響を与えた『暦算全書』は、梅文鼎の著作を集めて1723年に刊行されたもので、享保十一(1726)年長崎に渡来した。
  時の将軍吉宗は、この訳述(句読・送り仮名を施す)を≪建部賢弘≫に命じた。賢弘はこれを高弟の≪中根元圭≫に托した。1728年元圭はその任を果たし、賢弘はこれに序文を附して1733年奉呈した。

  八代将軍「吉宗」(1684〜1751)は、天文学に非常な関心をもって、天文・地理学者の西川如見とその子正休、数学者としての建部賢弘などを顧問として招聘するとともに、子午儀を設置して自らも観測に従事し、望遠鏡に十字を加えて精測の便を図るというような有様で、それ以後の江戸における天文学は長足の進歩をした。

  吉宗の天文学に対する関心は、単なる個人的興味からではなく「天文暦日は、民に時を授くるの必要なれば」とて農本主義の時代における農事暦の重要性を認識したためである。
そんな中で吉宗は、和漢の暦はもちろんオランダの説まで広く研究し、当時行われていた「貞享暦」の欠点を改正しようとしたのである。

  この目的のために建部の推薦を受けた中根元圭(1662~1733)は、予て『暦算全書』を見ていたので、支那の暦法の粗漏なことを述べ、本邦の暦学を精密なものにするためには、蘭説に依る必要があり、ついては、禁書の厳を緩めねばならない旨、建部とともに上言したということである。

  元圭は、頒暦後すでに48年を経過していた「貞享暦」の差異を験するため、伊豆の下田および江戸深川において「日の出」の刻限および最高度を実測した。

  建部賢弘(1664〜1739)は、地理学に加えて数学の造詣が深かったので、暦術の解説も数理的に企て、彼の発明になる累約術は暦術の関係からきたものであろうという。賢弘は地理学者として「元禄總図」の不備なる点を指摘し、地図製作上に、北極高度、日月食の観測、経緯度測定の必要なことを主張し、緯度測定のことは、『分度余術』(松宮俊仍著、享保十三・1728年)の中に見え、月食の観測による経度決定法は『授時暦議解』中に説いているという。

  吉宗は、西洋法を用いて改暦を行う心算であったが、保守的な京都の「陰陽頭」に阻止されてその意思を果たすことができなかった。その後、寛政改暦の際、西洋法を用いたのは、このような過程を経た結果、吉宗の内旨を実現したものである。
  吉宗は、西洋文化に非常な関心をもち、青木昆陽に『蘭書読解』をなさしめ、蘭学の興隆の端を開いた。

  このように、吉宗は、近世日本科学発達史における一大恩人である。『日本科学史要』(富成喜馬平著・昭和14年12月)



7.「メーン!」「イッポン!」

  今回は、ソロバンの扱い方などについて、述べてみたい。

 @ソロバンの数え方
  @.「面」:平たいものを数える語
    例  帳面、図面、鏡、琴、テニスコート
 『…但 往時明人ヨリ授与セシ古算盤一面ハ今尚伝蔵ス…』との片岡家の書簡あり。
  A.「挺」:まっすぐな棒状で、手に持って使う道具を数える語
      例  鋤、鍬、墨、銃、蝋燭、艪、駕籠、人力車
  B.「丁」:挺と同じ
      例  書籍の紙数、豆腐、料理、飲食物
C.「本」:棒状の長いものを数える語
    例  芝居、映画、柔道・剣道等の勝負、調子笛の管の音の高さの名称
  ◎「丁」が一般的であるが、私は「面」を使いたい。

 A珠は、「顆」「玉」「個」「子」で数える。

 B保管用の「桐箱」について
  「桐」:軽・軟・色白・狂いが少なく・耐火性と吸湿性に強い。
  火に強く、水に強い性質の桐は、古くから箪笥・金庫・文箱・軸など大切な物の保管箱・琴などに使用された。
 ◎造りが、印籠蓋でないと効果が薄い。なお雨天の時などは逆に湿気を閉じ込めるので注意を要する。

 C玉のすべりが悪い時はよく「滑らし粉」(蝋石のこな)を振ることがあるが、玉も桁も植物質であるので、鉱物質の「滑らし粉」は好ましくない。磨いたり、動きを滑らかにするには、「水蝋樹蝋(いぼたろう)」が良いと、何人かの先人から聞かされた。
 ◎「いぼた蝋」は漢方の薬局などで、入手できる。

 Dソロバンを裸で積み重ねる場合は、玉のある正面同士をくっ着けて重ねると安定するし、玉が痛まない。
 ◎ソロバンを、逆に置くことに少し抵抗を感じるが、「玉同士(実際は玉と相手の桁)を着ける方が玉は痛まない」と、ソロバンの鑑定の名人に教わった。
         


8.「先」と「逆さ」

  暁出版発行の図説『日本のそろばん』に「パスケ式そろばん」という写真が掲載されている。
  その説明に「デンマークのコペンハーゲンのパスケ(Paske)氏の考案になるそろばん。五珠を梁下に、一珠を梁上にして使用するものであり、写真版が逆さに印刷されているわけではない。このそろばんは、表裏兼用の両面になっていて、かなりの大型。珠は3桁ごとに色別されているから、一般用にも盲人用にも使える。
  おや指で五珠を、ひとさし指で一珠を弾く関係から、たとえば[8+9]などは[8+10−1]のように先珠使用で運指する」とあります。

 @.「先」は「先珠」です。
  「先珠」とは、前述のように、8+9 を +10−1 の順番でする運珠のことをいいます。
  88+99 の場合の運珠は原則として +100−10+10−1 の順番ですることで、+100−1 とするのは、(自然にこのように発展するであろうが)過大数の部類に入ると考える。 735+268 や 8999+1058 などは、先読みを必要とし、初心者にとっては混乱し勝ちで誤算の原因ともなるといわれる。
* 先珠使用者の論
  @4+1 も 10−3 も先珠である。
  A原則として、後戻りしないので無駄がない。
* 先珠論者(以下敬称略)
  野中華威治(元大珠協副会長)、木村勤(元ソロバン日本一)、長谷九郎(大分)新開玉次郎(尾道)など。 
* 亀井算は、初歩から先珠で指導して、動きが後戻りしない。
* ロシアのソロバンは、全国的に「先珠法」が取られている。

2.「逆さ」は「逆さソロバン」
  「逆さソロバン」とは、普通のソロバンで天・地を逆にして運算することです。
  この一番の推進論者である長谷九郎は、「玉をうごかす指の特性と、数観念の自然性」にある。@運指は、上の一玉はひとさし指、下の五玉はおや指、A数観念は、数を量的に認識する場合、下から上へだんだんと積み重ねるのが自然である。
  * 「逆さソロバン」論者
   パスケ(デンマーク)、長谷九郎(大分)、谷幸夫(東京)、山田喜久男(大阪・日本珠算奨励会本部) 
  これが、数認識に自然であるというが、暗算習得にもプラスとなるかどうかは疑問であろう。



9. 「デジタル」と「和算」
 
  わずか20年前にはわれわれの周りに携帯電話やパソコンを目にすることはきわめて珍しいことだったのである。それがこんなに普及するとは想像もしていなかった。

  ページャーという言葉があった。ページャー(Pager)または、ビーパー(Beeper)とは「移動中の個人を音や振動を使って無線呼出しするための携帯用受信機およびそのサービス」のことで、これは、NTTの登録商標では「ポケット・ベル」といわれれば思い出す人も多いだろう。
  それが「音や振動」から「文字や数字」で表示できるようになって、現在の携帯電話の「メール」につながるのである。

  パソコンのキーボードには90近くのキーあるが、携帯電話は20ほどのボタンを操作して電話やメールの発信・受信をしている。
  このメールの作文は、前述の「ポケベル」を進展させたもので、ポケベルの文字配列は、凡そつぎの通りである。

11あ 12い 13う 14え 15お  21か 22き 23く 24け 25こ 
31さ 32し 33す 34せ 35そ  41た 42ち 43つ 44て 45と 
51な 52に 53ぬ 54ね 55の  61は 62ひ 63ふ 64へ 65ほ 
71ま 72み 73む 74め 75も  81や     83ゆ  85よ 
91ら 92り 93る 94れ 95ろ  01わ 02ゐ  04ゑ 05を

  例えば、公衆電話からでも、番号のあとに「12 71 83 23」で「いまゆく・今行く」となる。
 
  先日、『明治前 日本数学史X』(1960・岩波書店)につぎのような文章をみつけた。
  『早算手引集』(小形本・山本一二三著・安永四:1775年)の表紙裏に「算数言葉遣」と 
あって、いろは…せす(きやう)を7行7列に配列して「これは そろばん にてなおしをせんとおもふ時、たとへば めでたい といふ時、六五、五七、三二、一 一とおいて見せるなり」云々といってゐる。 

 例  め(65) で(57) た(32) い(11)

          1   2   3   4   5   6   7                         
      1   い   ろ   は   に   ほ   へ   と
      2   ち   り   ぬ   る   を   わ   か
      3   よ   た   れ   そ   つ   ね   な
      4   ら   む   う   ゐ   の   お   く 
      5   や   ま   け   ふ   こ   え   て 
      6   あ   さ   き   ゆ   め   み   し 
      7   ゑ   ひ   も   せ   す   き や う 

  商人が「符丁」を使ったり、仲買人の競りで「袋競り」をしたり、問屋ソロバンに「裏板」があるのは、近くいる他人に交渉過程を知られないためである。

  これは言葉を数に変換して伝達する方法として考えられたものである。
  230年前に、現在と同じ言葉のデジタル化を思いついた人がいたのが驚きである。 



10. 寺子屋について

  近世から、近代初頭の民衆教育機関として寺子屋は、江戸時代ほとんど全国的にゆきわたっていた。
  もとは手習いをする子供達が「寺子(筆子)」として寺院で「僧侶」から教えを受けたのでこの名が起こったといわれている。
  
  室町時代の末に、日本に使いした朝鮮人の筆になる旅行記『日本往還記』には
  「其民に兵農工商僧あり、唯僧及び公族、文字を解する者あり、其余は将官の輩といえども亦一字を識らず」というのが残っている。

  その後、信長・秀吉・家康の施策から「読み・書き・ソロバン」能力の必要性が生じた。

*  兵農分離・・・・・武士・領主層が都市居住となったことにより、村落支配は文書・法度による徹底。
*  経済の発展・・・・商工業の発展により全国的規模で商品が流通、それにともなう貨幣経済の進展。
*  村内自治・・・・・年貢村請制により、上からは触書・法度の伝達。下からは報告・訴状提出。

  近世社会は、本来、民衆一般がリテラシー(識字能力)の必要性を自覚する特質を備えており、近世の成立とともに「寺子屋」の出現は必然であったといえる。

  寺子屋の概要は、師匠が、何かの事情で経営をやめれば、その存在は忘れられていく運命にあるので、寺子屋の記録はほとんど残っていないということである。

  いくつかの資料によると。

*  寺子屋の経営者  平民:40%、武士:26%、僧侶:18%、医者:8%、神官8%
*  指導内容     読み:66%、書き:58%、ソロバン:26% (もちろん複数)
*  算術の指導内容  八算まで:45.3%、見一まで:22.0%、開平:7.3%、開立:6.7%、九九:5.8%、相場割:5.7%、求積:1.6%、利息:1.3%、天元・点竄術:0.9%
*  入門:5歳から8歳の6月6日か2月の初午の日。 
*  下山(修了):10〜13歳
*  必需品:硯箱、筆、紙、墨、天神机(勉強机で寺子の持ち込み)、盲縞の上着、先輩達に配る菓子。(ソロバンが入っていない。高価だったのではないか)
*  学習時間:毎日6〜7時間、朝7時半頃から、昼食は家で、午後2時半頃まで
*  やすみ:毎月の定休日、五節句、年末年始、農村では農繁期
*  授業日数:年300日くらい、土用の間は「朝習い」、旧暦の6,7月は半日 

*  識字率:(江戸後期)男:79%、女:21%、武士:100%

*  確実なソロバンの伝来時期はわからない。(1970年にはあったらしい)

*  それ以前は、算木で計算。(現存最古は東大寺二月堂にある)

   太閤検地(1582〜98)でも、算木を使っていた記録もある。(ソロバンの全国普及にはまだ時間を要したか?)

   これによるポテンシャル(潜在能力)が、明治以降のわが国の発展に繋がったものと思います。
   同じことが、ソロバンにも言えると自負したいものである。




 【ソロバン・数話】

 
1. バビロニアの数学と「和算」

 多くの文明が大河の流域で発生している。そこでは、農業が重要な産業で、収穫した穀物や租税、耕作地などの管理のために計算を必要とした。エジプトでは、洪水で失った耕地の面積を役人が測量し、王はそれにより減税したとヘロドトス(前485〜前425?)が書き残しているとのことである。

 最近になって、いろいろな論文に目を通していて驚いた。
 それは、3800年以前のバビロニアの楔形(セッケイ・くさびがた)文字による「帯縦開平」の計算がなされていたという。
* 記数法が60進法である「バビロニア数字」でする「開平」であること。
* それが、「帯縦開平」であること。
* 最も驚いたのは、解法が江戸時代の和算書『算法新書』(千葉胤秀著、文政13・1830年)と同じであったことである。3600年を隔てた和算の中に同じように解いているのをみると、驚きとともに嬉しくなった。

 『数学の誕生』( 近藤洋逸著 現代数学社 1977.6.10 )をヒントにして、記された。 「数学史にみる幾何学的代数学」黒田孝郎≪『富士論叢』第32巻第1号・1875年≫によると、バビロン第一王朝初期の紀元前1800年頃のものといわれる粘土板(エール大学蔵)に、つぎのような問題が刻まれているという。≪『文明における数学』黒田孝郎・三省堂・1986年・P.23≫

 問 題
 「長さ」と「幅」を加えると6;30’『面積』が7;30°の時、「長さ」と「幅」を求めよ。
 (シュメール人の記数法は60進法であった。ここでは、7個と半分を7;30,と記す。)
これを、粘土板にあるとき方。
『数学の誕生』によれば
         x+y=6;30,   xy=7;30,
    テキストにいう:
         “長さと幅を半分にして加えると 3;15, ”
         “それを平方すると 10;33,45 ”
         “10;33,45 から 7;30, をひくと 3;3,45 ”
         “それの平方根は 1;45,である”
         “それを一方に加えよ 3;15,+1;45, ”
         “それを一方から引け 3;15,−1;45, ”
         “すると長さと幅を得る x=5  y=1+1 / 2=1;30, ”
   これをいま少し詳しく計算すると
@ 6;30 ÷ 2=3;15=3 + 15/60
    A (3 + 15/60)²=9 + 2 × 3 × 15/60 + 15 × 15/60 × 60
=9 + 15/10 +(60 × 5 + 45)/60 × 60
=9 + 1 + 5/10 + 3/60 + 45/60²
=10 + 30/60 + 3/60 + 45/60²=10;33,45
    B 10;33,4 − 7;30=3;3 ,45=11025/60²
    C √11035/60²=105/60²=1;45
    D 3;15 + 1;45=4;60=5
    E 3;15 − 1;45=2;75 − 1;45=1;30
  
『算法新書』巻二 60丁ウ の「帯縦開平」の問題
   直積三百五十七歩有 長平(縦横)和三十八寸 長及平何程と問
     答 長二十一寸 平十七寸
    術曰 和三十八寸を半して十九寸天とす 是を懸合三百六十一歩を得
       内積三百五十七歩を引残四歩を平方に開き二寸天を加へ長を得
       以て和の内より引平とす
 
  『算法新書』の問題   面積:357  辺の差:38
解 法
  @ (長さ + 幅)を半分にする。      38÷2=19(天)
    A @を自乗する。             19²=361
     B A − 面積               361−357=4           
    C Bを開く                √4=2
    D @ + C                19+2=21
    E (長さ + 幅)− D = @ − C  38−21=17      
 
 古代中国でも、数学書『九章算術』(1世紀?)の第一章は「方田」で。耕地面積を扱っている。したがって、乗・除算と同時に「開平」の計算が行われているのである。
 「帯縦開平」としては『田畝比類乗除捷法』巻下(楊輝著・1275)『算法統宗』巻六(程大位・1592)に見えるが、どちらも同じ数を使っているので後者は前者を参考にしたものであろう。

 しかし、『算法新書』の解き方は、『田畝比類乗除捷法』『算法統宗』とは異なっている。
 ともあれ、それがバビロニア数学と同じ解法であることに不思議を感じる。
 どのようにして考えついたのであろうか。
 『幾何学的代数』で解くと必然的にこのようになるのであろうか。



2. わり算を足し算で

 私が小学生のころ、塾の先輩が関西大倉中学校へ入学して珠算部に所属した人がいた。
 その頃の「カンクラ」は中学・高校ともに、珠算の覇者として全国的に知れわたっていた。指導者は「鬼のシオミ」ともいわれた塩見利夫先生だったのです。
 ある時、彼は「塩見先生らが、足し算でする割算を発明?して計算している」という話を聞いた。それが不思議に今でも耳に残っているのである。

 ここに、足し算でする割算を記してみることにする。

(1)帰一除法(加除法、直加除法、補数除法、増成一法、益除、歉除法)
  例   4,584,511÷97=47,263
          100−97=3……省法
          4584511
          +12(3×4)
          4704511
           +21(3×7)
          4725511
            +06(3×2)
          4726111
             +18(3×3)
          4726291
              +09
          4726300÷100(位取り)=47,263
 
(2)拡大帰一除法(帰一除法を拡大した計算)

  例  250,399,374÷47,263=5,298
      100,000−47,263=52,737…(省法)
         250399374 
        +25
         +10
          +35
           +15
            +35
         514084374
         +10
          +04
           +14
            +06
             +14
         524631774
          +45
           +18
            +63
             +27
              +63
         529378104                               
            +40                                  
             +16
              +56
               +24
                +56
          529800000÷100000(位取り)=5,298

◎ この方法を、「ネイピア・ボーン」による割り算に利用すれば、足し算のみで計算できる。(『計算機歴史物語』内山昭著・岩波新書・1983.6.20・P.89・別稿にて)  

 今にして思えば、「帰一除法」も考えられないこともないが、多分「過大商除法」のことであろう。

(3)過大商除法

  例  250,399,374÷5,298=47,263
         250399374
         5
         −25
          −10
           −45
            −40
         4985499374
         −2
          +10
           +04
            +18
             +16
         4796095374
           −7
            +35
             +14
              +63
               +56
         4729803974
           −3
            +15
             +06
              +27
               +24
         4726962914
            −7
             +35
              +14
               +63
                +56
         4726300000÷100000=47,263  

 基本運指では引き算は足し算に比べて、食指を使うことが多いので、割算に過大数を採り入れることにより減法が加法になるので、指の負担を軽減させる。しかし、過大数には必然的に「商の借り換え」がともなうのが難点である。

 最近では、大方が検定試験合格を第一の目標としているので、「過大数」は強いて使う必要がないのであるが、珠算本来の技術として特別算法を大切に伝承すべきと考える。

 過大数計算は、四則計算はもちろん「簡便算」「裏面数計算」「開平・開立法」など全ての算法に利用できるが、一番利用価値が高いのは「十三商割競算」であろう。減算の指使いの練習とともに、前述の「商の借り換え」の練習にも最適である。

 過大数計算は珠算のみの最高技術として、これを自由に扱えることこそ、珠算の醍醐味である。



3. 余数(補数)乗法

   例1  8×6=(10−2)×(10−4)=48
      *ソロバンでは、この2と4を補数といって、8の補数は2、6の補数は4
       であるといいます。
   計算方法 (8―4)×10+2×4=48
           ↑(相手数の補数)↓ 
             または、 (6−2)×10+2×4=48 
例2. 7×6=(10−3)×(10−4)=42  
    計算方法  (7+6)×10+3×4−100=42
    
例3. 9×3=(10−1)×(10−7)=27
    計算方法  (9+3)×10+1×7−100=27
   
例4. 4×2=(10−6)×(10−8)=8
    計算方法  (4+2)×10+6×8−100=8 



4.指でするかけ算

  前の3.を延長したのが、よくいわれる指算で、6,7,8,9の段どうしのかけ算である。最近までヨーロッパ(フランス・ルーマニアの農民、モルドヴァ・セルビアのジプシー・イランのクルド人などのあいだ)で使われていたらしい。

     8×6=48
    計算の手順 @5の段までの九九は覚えさせる。
          
          A左手の指で、親指から小指に向かって1,2,3,4、5とおりまげて、6,7,8と起こす。(3本起きている)
          B右手の指で、親指から小指に向かって1,2,3,4,5とおりまげて、6と起こす。(1本起きている)
          C左右の起きている指は、1本を10と数える。(4本で40)
          D左右の曲げた指どうしかけ合わせる。(2×4=8)
          ECの数とDの数とを加えて、積とする。(40+8=48)
   
*10を超えた数どうしのやり方もあるが、ここでは省きます。
*数理は「余数乗法」と同じである。



5.インドの掛け算( 十位が1のとき・両首一法 )

   テレビで、インドの人が19までの数の掛算について、つぎのように説明していた。
  例 1. 17×13=221 
          17
       ×  13
         200
    21
        221                    
     (17+3)×10+7×3=221

  例 2. 18×16=288 
          18
 ×  16
    240     
          48      
   288     
 (18+6)×10+8×6=288   

 これを、余数乗法と同じように、つぎのようにするとよい。
  例 1. 17×13=(17+13)×10+7×3−100=221
  例 2. 18×16=(18+16)×10+8×6=100=288



6. 1に近い数どうしの計算(近一乗・除法)

 @ 1に近い数どうしの掛算
   * 計算方法:2つの数をたして1を引く
    1.03×1.02=1.03+1.02―1=1.05(1.0506)
    1.04×0.98=1.04+0.98―1=1.02(1.0192)
    0.98×0.97=0.98+0.97―1=0.95(0.9506) 

 A 1に近い数どうしの割算
   * 計算方法:1をたして割る数を引く
    1.03÷1.02=1.03+1−1.02≒1.01(1.0098…)
    1.02÷1.03=1.02+1−1.03≒0.99(0.9902…)
    1.04÷0.98=1.04+1−0.98≒1.06(1.0612…)
    0.98÷1.02=0.98+1−1.02≒0.96(0.9607…)
    0.98÷0.96=0.98+1−0.96≒1.02(1.0208…)
    0.96÷0.98=0・96+1−0.98≒0.98(0.9795…)  



7.「九九」を使用しないわり算(増成一法)

  中国では、ソロバンが発生するまで「籌(ちゅう)」とよばれる「算木」で計算が行われていたが、しかし、けっこう手間がかかるので、いろいろな工夫をいろいろな方法が 考えられながら発達した。
@ 発達の一つの段階として「増成一法」といって、つぎのような方法がおこなわれて  いたが、特徴は加減のみで全く「九九」を使わないでする除法である。

  例  3456÷8=432
   *3   4   5   6   8で割る(*は途中のソロバン面である)   
       +2           8と10との差=2(補数という)
       +2           @首位の3を仮の答として、つぎの位に補数
       +2            の2を3回たす
   *3  10   5   6
       −8           A10から除数の8を引く
   +1               B8が1回引けたので、上の位に1をたす  
   *4   2   5   6   C4は確定する
           +2       Dつぎの2を仮の答として、つぎの位に補数
           +2        の2を2回たす 
   *4   2   9   6   
           −8       E9から除数の8を引く
       +1           F8が1回引けたので、上の位に1をたす
   *4   3   1   6   G4と3が確定する 
                    Hつぎの1を仮の答として、つぎの位に補数
               +2    2を1回たす
   *4   3   1   8
               −8   I8から除数の8を引いて上の位に1をたす
   *4   3   2        答は 432 である 

                        ・  ・  ・  ・
  この計算はソロバンでは、定位点にあわせて  3・・4・・5・・6 と布数して 
 計算すれば簡単にできる。
  この計算が発展して、「割り声(割り算の九九)」がうまれた。なお、中国では、なるべく考えずに答を算出する工夫をした。
 
A 「省一除法」への利用 
 2けたの「増成一法」もできないことはないが、やはり複雑である。
「省一除法」に利用すると、普通の簡便算より商が楽に按出できるので
 例  3553÷19=187
    イ   ロ   ハ   二
   *3   5   5   3   (*は途中のソロバン面である)   
                    @イを仮商として、3×9=27引けない
  −1 +10           Aイから1を引いて、ロに10を加える
   −1 +10            Aをくり返す
   *1  25   5   3   
       −9           Bロから、1×9=9を引く
   *1  16   5   3   *イの1が確定する
       −6 +60       Cロから6を引いて、ハに60を加える
       −1 +10       Dロから1を引いて、ハに10を加える
       −1 +10        Dをくり返す
   *1   8  85   3
          −72       Eハから、8×9=72を引く
   *1   8  13   3   *イとロが確定する
           −3 +30   Fハから3を引いて、ニに30を加える
           −1 +10   Gハから1を引いて、ニに10を加える
           −1 +10    Gをくり返す
           −1 +10    Gをくり返す
   *1   8   7  63    
              −63   H二から、7×9=63を引く
   *1   8   7        答は 187 である 


8.百五減算をつくる


 ご存知【百五減算】に挑戦します。

 ある人に年齢をたずねると、「私の年は、3で割ると2が余り、5で割ると3が余り、7で割ると4が余ります」という答えが返ってきました。この人の年齢はいくつですか?
 = 解式 =
 3で割った余りをa、5で割った余りをb、7で割った余りをc、として
    70a+21b+15c−105n(105を引けるだけ引く)
にあてはめると、
 70×2+21×3+15×4−105n=140+63+60−105×2=53
   答は  53歳 です

 このように、3,5,7で除した剰余を利用して計算して、最後に105を引くところから、このパズルを【百五減(百五間)算】といいます。

 私が初めて【百五減算】という言葉を目にしたのは、約50年以前のことであります。
 父の遺した『日本の数学』(小倉金之助著、岩波新書・昭和15年)の中に【百五減算】という言葉が出ていました。それが何かわからなかったので、何人かの人にたずねてみたのですが、返事は「知らない、わからない」でした。ところが不思議なことに、いつどうしてわかったのか、記憶にないのです。

 【百五減算】は、中国ではすでに三世紀末に存在し、唐代の明算科の教科書として採用されたという。
 『孫子算経』には、「今有物、不知其数、三三と之を数ふるときのあまり二、五五と之を数ふるときのあまり三、七七と之を数ふるときのあまり二なり、問物幾何」とあります。

 『数学セミナー』(昭和47年12月臨時増刊号)によれば、これは「連立一次合同式」として知られ、「数学100の発見」の中にかぞえられていて、D.E.Diksonは,中国生まれなので、Chinese Remainder Theoremと名付けたということであります。
 南宋の秦九韶著『数書九章』(1247)では「大衍(エン)求一術」、『続古摘奇算法』(楊輝著、1275)では「翦(セン)官術」とよばれ、他に「隔牆(カクショウ)算」「秦王暗点兵」「鬼谷算」などともよばれたそうです。

 これが日本に伝わって、碁石でやる遊戯として『二中歴』『見聞雑記』『異制庭訓往来』そして、『塵劫記』『勘者御伽双紙』へと命脈を保ってきたのであります。《東西数学物語・平山諦著》

 【百五減算】のほかに、『勘者御伽双紙』(中根法舳著、寛保三・1743年)には、
315減 (5:a,7:b,9:c,  126a+225b+280c−315 n) と、
63減 (7:a,9:b,       36a+28b−63n) が掲げられており、

 『計算の研究』(中埜道晃著、昭和5年) では、
231減(3:a,7:b,11:c,    154a+99b+210c−231n)
627減(3:a,11:b,19c,   418a+342b+495c−627n)
935減(5:a,11:b,17:c,  561a+595b+715c−935n)
1729減 (7:a,13:b,19:c, 988a+1197b+1274c−1729n) が

 『楽しい数学パズル』(浦田繁松著、昭和52年) には、
60減(3:a,4:b,5:c,   40a+45b+36c−60n)が出ています。

 私も、問題●を作問に挑戦してみました。
 先ず、割る数を、13と17と19で「四千百九十九減算」を作ってみました。

  4199減(13:a,17:b,19:c, 1938 a +494 b +1768 c −4199 n)
例 ある数を、13でわった余りが10,17で割った余りが8,19で割った余りが17 のときのある数を求めなさい。
  1938×10+494×8+1768×17−4199 n=19380+3952+30056−4199 n
=53388−4199×12=53388−50388=3000  答 3000

 しかし、このような、数学遊戯では計算の数が大きすぎて、ソロバンや電卓を使うようでは、興味が半減してしまいます。
ソロバンによる計算と電卓との違いはいくつかあるのですが、その中でも計算結果として、『余り』が直接出せるか・出せないかにあります。
 最近の生徒の中に「あまり」の出し方がわからない子がいたりして驚くことがあります。
そこで、ソロバンができないしでも楽に余り出て、出題者も計算が簡単な【百五減算】問題を作成してみました。

        = 除数 =           = 計算式 =
(1)15減(3:a,5:b,        10a+6b−15n)
(2)21減(3:a,7:b,        7a+15b−21n)
(3)22減(2:a,11b,        11a+12b−22n)
(4)30減(2:a,3:b,5:c,    15a+10b+6c−30n)
(5)33減(3:a,11:b,       22a+12b−33n)
(6)35減(5:a,7:b,        21a+15b−35n)
(7)45減(5:a,9:b,        36a+10b−45n)
(8)55減(5:a,11:b,       11a+45b−55n)
(9)77減(7:a,11:b,       22a+56b−77n)
(10)90減(2:a,5:b,9:c,    45a+36b+10c−90n)
(11)99減 (9:a,11:b,       55a+45b−99n)
(12)143減(11:a,13:b,     78a+66b−143n)
(13)385減(5:a,7:b,11:c,   231a+330b+210c−385n)
(14)504減(7:a,8:b,9:c,    288a+441b+280c−504n)
 
 相手に覚えさせる数の限度については、『勘者御伽双紙』に、「何れも減数を限りとするがよし」とあります。したがって、三十減の場合は1〜30(除数の2,3,5の最小公倍数)までの数、九十九減では1〜99の数であります。

 いずれにしても、1800年以前に、おそらく理論的に考えたのではなくて、偶然見つけたのかも知れませんが、当時の人々にとって大発見であったと思います
 その後【百五減算】は、わが国に伝わって多くの数学愛好者を楽しませてくれたのです。
 このように「数学遊戯」などを通して、今のこどもたちにも、数の不思議さと、面白さを知って、数に興味をもち「数学好き」となるきっかけになってほしいと思います。



9.検算について

 「二算は、三算なり」という言葉がある。
  一度目と二度目の答が違えば、三度目の計算を必要とする。
  計算は合理的・能率な的観点からみて、答の算出は一算が望ましい。しかし、実務的には時として検算も必要である。

 (1)検算の方法
  A.正答算出法
    イ.再算法 ロ.順序転換法 ハ.算法交換法(算法変更法) 二.問題変化法
  B.正誤判別法
    イ.概算法 ロ.逆算法 ハ.剰余利用法

 (2)剰余利用法
    ここでは、Bのハ「剰余」を利用した方法について述べる。
 ソロバンと電卓の違いはいくつかあるが、計算終了時に直接「余り」が求められるかどうかもその一つであり、実用計算としては大切なことである。
 不十進諸等数の計算などは、余りが出なければ、かえって複雑で計算に時間がかかるのである。そこで、「余り」の利用法についていろいろな観点から考えてみたい。
  A.九去法
    剰余として、一番知られているのが、九去法であるので、一応利用法を記しておきたい。
* 九去数(単一数とか、根ともいう)の求め方
例 13,578÷9=1,508…6 で九去数は 6 である。
  九去の場合は、各位格の数を 足せば求められる。
  1+3+5+7+8=24  2+4=6 となる。
    *加減算の場合
      例 9,876−4,321+2,135=7,690(7+6+9=2+2=4)
    九去数   3  −  1  +  2  =  4  

    *乗 算の場合
      例 263×457=120,191(1+2+1+9+1=1+4=5)
    九去数  2 × 7 =14=1+4=5
    *除 算の場合
      例 142,378÷481=296 … 2
    九去数    7  =  4 × 8 + 2
  
B.「九去法」の歴 史
   カジョリの『初等数学氏』(小倉金之助補註)によれば、「九去法は3世紀に、ローマの司教ヒッポリュトス(Hippolytos)に知られていた」という。
   「験算法は、インドの土盤算法中、数字が随時消されることから、計算結果の正確か否かを検証しようとつくられたものだ」(中国数学史)「インド人の発明ではないが、インド人にはわれわれ以上に役立った」とも。
  =西 欧=
   『実用算術概論』(1585・クラビウス・Ciavius)
  =中 国=
   『同文算指』(1614・利瑪竇口述・李之藻記録)「九除」「七除」
   『暦算全書』(1718・梅文鼎著)「同文算指から引用した」「試法九減・七減」
  =日 本= 
『勘者御伽双紙』(1743・中根法舳著)「合否を知る術の事」
『算法童子問評林』(1798・会田安明著)「御伽双紙の九去法を邪術」
『方円秘見集』(1667・多賀屋清兵衛)
勘定に十の心得の事「割候さんは掛、懸候さんは割り候て元に成か合違ひ知事」
   『算法玉手箱』(1879・福田理軒著)
  
C.n去法
    除数は何を使ってもよいのであるが、条件としては、
@ 剰余の案出が簡単である事、
A 剰余での処理が簡単である事、
B 正否の判別がしやすいことである。  
    そこでいくつかの剰余の求め方をを考えてみたい。
   イ、十一去法
     例   142884
        −11
         −22
          −99
           −88
            −99
              5(十一去数)
   ロ.九十九去法
     例 142884 末尾から2けたずつ足す
       ・・  ・・ 84+28+14=126=26+1=27(九十九去数)     
   ハ.百一去法
     例   142884
        −101
         −404
          −101
           −404
             70(百一去数)
    ニ.九百九十九去法
      例 142884 末尾から3けたずつ足す
・・・ 884+142=1026
=026+1=27(九百九十九去)
    ホ.千一去法
      例   142884
         −1001
          −4004
           −2002
             742(千一去数)
    へ.八十九去法
      例 142884 ÷89を(100−11の)帰一除法で計算する。
        ・
    +11(1×11)
        153884
         ・
         +66(6を予測して・6×11)
        160484
           ・
           +55(5を予測して・5×11)
        1605BH  39が余るので、39(八十九去数) 

ト.九十七去法 
      例 142884÷97を(100−3の)帰一除法で計算する。
        ・
        +03(1×3)
        145884
         ・ 
         +12(4×3)
        147084
          ・
          +21(7×3)
        147294
           ・
           +09(3を予測して・3×3)
        14730B  3が余るので、3が(九十七去数)

    
   ◎ 条件から考えると、九去法か九十九去がであろう。九百九十九去法などを試してみるのもおもしろい。
        


posted by そろまんが at 14:10| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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