2009年10月21日

「命数法」について

命数法について
村上 耕一

朝日新聞(平成19年9月25日・大阪版・夕刊)に,「340澗の衝撃」と題して,次のようなコラムがあった.
 ……略…… インターネットの世界には,パソコンやルーターなど機器の「住所」に当る「IPアドレス」という番号がある.今後,その数が爆発的に増え,「澗(10の36乗)」という単位のお世話になるようになる.住所の数は現行のインターネットプロトコル(IP)「V4」で約43億個だが,次世代の「V6」では「340澗」.1兆人が毎日1兆個ずつ使っても,1兆年近くかかる計算だ.V6は徐々に使われ始めているが,本格普及は2010年ごろからだ.……略……

 「澗」という大きい命数が,身近に実数として新聞に取り上げられたのは,大変めずらしいことで驚いた.しかし,それにも況して,私の知らない(?)ところで,日々想像を絶する進化を,し続けている「ITの世界」を垣間見て,今更ながら驚嘆した.
日本の数詞(整数)はご存知のように,「一,十,百,千,万,億,兆,京,垓,柹杼,穣,溝,澗,正,載,極,恒河沙,阿僧祇,那由他,不可思議,無量大数」である.
この「命数」は,奈良時代前後に「九九」などとともに,中国から移入されたらしいが,その内容は確立されてはいなかったようである.
 
 中国でも,『数術記遺』(二世紀徐岳の撰,六世紀甄鸞の註) によれば,「数に十等(億・兆・京・垓・柹杼・壌・溝・澗・正・載)あり,その用法に上中下の三通りある.下数(十ごとに変える),中数(万万で変える),上数(数が窮まれば変える)」とある.
 『孫子算経』(刊年不詳・三世紀末には存在?)や『算学啓蒙』(朱世傑著・1299年),それに『算法統宗』(程大位著・1593年)は,いずれも「万万曰億,万万億曰兆……」とあり,「盤珠算法」(徐氏心魯訂正,熊氏台南刊行・1573年)では「十億曰兆」とあって,どの説を採るかによって値が異なり,正確にはわからないといえる.
 それが日本に伝わって,やはり,『口遊』(源為憲著,天禄元・970年)には「十億曰兆」とあるが,鎌倉時代の『伊呂波字類抄』(橘忠兼著・1181年までに成立)では,「万億を兆と為す」と記されているのである.

 わが国で,確立した「命数」を掲げたのは,『塵劫記』(吉田光由著)からといわれ,その後の命数の基準として扱われてきた.
ところが,その『塵劫記』からしても初版(寛永四・1627年)においては,大数(おおかず)としては,「極までは十進法」で,その後「万万極を恒河沙という……」となっており.刊行年によって異なる.現在のような「万進法」になるのは,寛永十一年版からである.
 なお,岩波文庫『塵劫記』(大矢真一校注)に,最上位の「無量大数」について,
 「『塵劫記』寛永四年版および初期の版には『無量大数』は,一数であるが,後に無量と大数の間にキズのある版があり,そのキズが次第に成長して,ついに『無量』と『大数』の二数となった」という記述がある.

 つぎに,「小数(こかず)」の方であるが.吉田光由が『塵劫記』作成の手本にもしたと思われる『盤珠算法』にならってか,『塵劫記』には「両・文・分・厘・毛・糸・忽・微・繊・沙・塵・埃」までが掲げられている.
 その下位の「渺・漠・糢糊・逡巡・須臾・瞬息・弾指・刹那・六徳・虚*空*清*浄」については,『算法統宗』には見えるのであるが,そのいくつかの版を見てみても「虚*空*清*浄」のあたりがハッキリしない.
 また,『算学啓蒙』では,「万万塵を沙と曰……万万浄曰清・千万浄・百万浄・十万浄・万浄・千浄・百浄・十浄・一浄」となっていて,大数と同じように説が分かれている.
 ところが,『塵劫記』に続く和算書では,「漠」まで記載されているのがほとんどで,それより下位が見られるのは稀である.
 数少ない私の資料によるが,『数学端記』(田中佳政著,享保二・1717年)と『算法大成』(理明算法を改題,刊年不詳)があって,どちらも「漠・糢糊(算法大成は,糢・糊)・逡巡・須臾・瞬息・弾指・刹那・六徳・虚・空・清・浄」とある.
 他には,浪速天満宮に奉納した算額をめぐって,師弟が論争し「二田の争い」と語りつたえられる,武田真元と福田理軒の著書に記されてはいる.
 武田真元の『真元算法』(天保十五・1844年)には,「厘・毛・絲・忽・微・籤(?)・沙・塵・埃・渺・漠(?) 右之外 糢糊・逡巡・弾指・刹那・六徳・虚・虚(ママ)・清浄 之名あり」とあって「須臾・瞬息」が抜けており,2つ目の虚には「くう」と仮名が振ってある.清浄は二字で一数として扱い「せうせう」と振り仮名をつけている.
 その武田真元の弟子である,福田理軒の『明治塵劫記大全』(明治十一・1878年)には,「分・釐・毫・絲・忽・微・繊・沙・塵・埃・渺・漠・以上摸糊・逡巡・須臾等ありて際限なく皆仏説に出るなり 凡そ少数の極を空と為り 多数の極を虚と為り 其極に至てはおのおの視目の及ぶべきにあらず 又数理精薀には毫の次に拂(ほつ・弗ではないか?)と記せり 因て暦書などにはまま拂の字を用ゆ」とある.
 また前記の『算法大成』には,「暦象考成 下編では,前後間違って使っている」と指摘している.その頃も「見間違いや写し間違い」が見つかっていたが,そのまま伝わっていることがあるようだ.とにかく,日頃使用することがないので,いかにもいい加減で適当に扱っていることがうかがえる.
 なお余談ではあるが,大阪珠算界の会派として伝統を誇る「大阪競算会(会長 堀尾健治郎)」は,その祖を麻田剛立とする「和算の麻田派」で,「麻田剛立→坂正永→村井求林→武田真元→福田復・泉(理軒)→岸本増弘→津田善二郎(大阪競算会)」といわれている.

 ソロバン塾などで,小学生にこの命数を覚えさせると,興味を持って覚えてくれる.また,その歌もあってNHK教育テレビ「にほんごであそぼ」でときどき流れている.
 整数(大数)については,「 一,十,百,千,万,…… 無量大数」で確定しているとみてよいと思うが.問題は「小数」の方であって,最後の「虚・空・清・浄」か「虚空・清浄」かについてである.
 手許の辞書などで調べてみた.「虚・空・清・浄」派としては,『単位の辞典』『商用単位事典』『日本を知る事典』『東西珠算物語』『数学通になる本』などで.「虚空・清浄」派としては,『広辞苑(第五版付録)』『塵劫記(岩波書店)』『数の世界雑学事典』『日本人の数学感覚』などがあり.両方を載せているのが,『家庭の算数・数学百科』である.
 
 このように,日本の数詞であって,誤答を許さない数学の世界の根本的な事柄であるのにもかかわらず,いかに普段使用しないとはいえ,現在のように曖昧なままでよいのであろうか.
 小学生から「どちらが正しいのですか?」と質問されて,「どちらかわからない」とか,「どちらでもよい」という答え方でよいのであろうか.
 数学の他の団体にもはたらきかけ,どちらかに決定して,その上で文部科学省が認定するなどにより,確定していただくことを,節に望んでいる.
 もっとも,わが国は「国名」にしても,「ニホン」か「ニッポン」かも,ハッキリしない国柄ではあるが…?
 
『数学文化』第11号(2008.12)所載
posted by そろまんが at 14:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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