2010年03月04日

写算・籌算・筆算

写算について

 筆算のことを中国では「写算」または「鋪地錦(ほじきん)」といい、朝鮮では「文算」といった。これは、「格子掛算」のことである。それがネピア・ロッドとかネピア・ボーンとかいわれるイギリスの「棒計算術」につながり、『暦算全書』では、「籌算」となった。
 アラビア数字による「筆算」にたどり着くまで、大変な時間と苦労があったのである。
 アラビア数字の伝播について考え、その後筆算につなげたい。

T.数字の変遷
 現在インド・アラビア数字が、世界を席巻している。世界の言葉の雑居状態にあるわが国では、インド数字のほかに、漢数字はもちろん今でもローマ数字もつかわれている。

1.古代エジプト(前5000〜前2000)
 エジプト王国の文字は、時代によって変わる。
(1)ヒエログリフ(神聖文字)
    古代エジプト王国の初期から約3000年間使用された。
    象形文字・絵文字で数字は完全な十進法である。古代文字の中で最初に解読された。記数法は単純で分かりやすいが記録に手間がかかる。
(2)ヒエラティック(神官文字)
    記録を必要とするのは、神官や役人であるから、簡便な記録しやすい文字や数字を工夫して使うようになった。その書体をいう。

2.バビロニア(前3000〜前539)
 古代文明はオリエントで栄えた。字画が楔(くさび)の形をしているから「楔形(くさびがた・せっけい)文字」といわれる。初期は縦書き、のち左から右への横書き。数字は十進法と六十進法で表される。

3.ギリシァ(前9世紀〜前6世紀末)
 (1)アッティカ方式
    原則として十進法をとっており、1から4までは、1を表す縦の棒線を並べた個数で五はГで示し、十△・百H・千X・万Mなど各位に単位を表す数詞の頭文字(頭音書法)で表す。
 (2)イオニア方式
    ギリシァのアルファベット24文字の小文字と、古文字3個を加た27文字を一つずつ数字にあてはめる方式である。

4.ローマ(前6世紀〜15,6世紀)
 ギリシァ数字(アッティカ方式)の影響を受けている。
 基本的には、十進法であるが、一、五、十、五十、百、五百、千などの数字が決められていて、それらを組み合わせて表示する。
 同じ数記号を並べるのは3個までとするのが慣例となっている。

5.インド(前2300〜)
 インド数字の起源はわからない。古い時代はいろいろな数字があったようである。紀元前後の頃には、1〜9と10、100、1000などを表す記号があったが、ゼロはなかった。0(ゼロ)が発明されたのは9世紀の後半になってからである。(876年の碑文がある)

6.中国(前12世紀〜)
 前12世紀初めの殷末から歴史時代に入り、周から清までの諸王朝を経て現在につながっている。文字はそれ以前から自然発生して、殷時代にはすでに用いられていた。わが国には6世紀頃伝わった。


U.数字の発生と筆算の沿革  〔『数字の発生』(ジョルジュ・イフラー著 彌永みち代他訳)より〕

 わが国にインド数字が正式に伝来したのは幕末のころで、まだわずか150年前のことである。
 因みに命位数が伝来して1000年以上遅れて数字が伝来したのであるが、どちらもインド生まれであることに不思議な因縁を感じる。

前2700          シュメールの楔形文字数字が出現 
前2600〜前2500      エジプト神官文字の数字が出現
前2千年代前半      アッシリア−バビロニア楔形文字記数法の近東一帯への伝播
前14世紀末        中国最古の数字が出現
前8世紀末        アラムの記数法最古の資料
前6世紀末        フェニキアの記数法最古の資料
前5世紀         アッテカで“頭音書法”によるギリシアの記数法が出現

前4世紀末〜前3世紀初頭  エジプトに“アルファベット”による、ギリシァの記数法最初の文献

前3世紀中期        バビロンの学者間に史上初のゼロが出現

前2世紀         “方形ヘブライ文字”の最初の文献「ナーナー・ガード洞の仏教碑文に、ブラーフミー数字のより完全な形が出現」
この数字は現代の9個の数字=インド・アラビア・ヨーロッパの数字を真に予告するものであるが、まだ位取り原理には従っていない。

前2世紀〜後2世紀    中国文字の改革。小篆文字(徐々に現代の字形に変遷していき、算木方式による位取り十進法の記述法《ゼロはない》)出現

718           「開元占経」百二十巻(中国でインドの『九執暦法』を漢訳)このとき、インド数字が伝わった形跡がある。

976           「インド・アラビア数字」のヨーロッパ輸入。最古の記録は、北イスパニアのアルベルト僧院から出現。《ゼロの記号はない》

1299           フィレンツェの銀行家たちがアラビア数字の使用禁止

1450           グーテンベルク「活版印刷」発明 『字形が安定した』

1457〜96         暦には「ローマ数字」を使用
             『ドイツは新数字の採用を強く拒否した』

1518           ケペルの暦も「ローマ数字」を使用

1582           マテオ・リッチ(利瑪竇)がマカオに到着
1596           「コンテムツス・ムンジ」刊行
1607           「幾何原本」(利瑪竇口述・徐光啓記録)刊行
1614           「同文算指」(利瑪竇口述・李之藻記録)刊行
1723           「暦算全書」(梅文鼎著)刊行
1785           「版籌」(乳井貢著)刊行
1788           「蘭学階梯」二巻 刊行(『数量』の章にアラビア数字掲載)
1798           「暦象新書」刊行(+−×:(÷))西洋数学の直接輸入
1857           「西算速知」(福田理軒著)刊行
1857           「洋算用法」(柳河春三著)刊行


V.計算方法の推移
1202年   『算盤の書』(Liber abaci)レオナルド・フィボナッチ著
ヨーロッパにおけるインド数字採用の第一歩、「インドの九つの数字は、9,8,7,6,5,4,3,2,1である。これらの九つの数字と、アラビアではzephirumと呼ばれる記号ゼロ(0)とをもって、どんな数でもあらわされる。」
 これは、フィボナッチがインド数字の意義を完全に理解していた証拠で、この数字を使って計算方法や商業数学を解説している。 

14世紀   ギリシャの僧侶マキシム・プラムデスがインドで著した『算術書』で「格子掛算」と呼ばれている。≪内山昭著『計算機歴史物語』≫

1403〜1424年 『七政推歩』 貝琳編
 当時イスラム国家では、すでにインドの土盤算を筆算に改良していたが、依然としてこの種の算法を「土盤算」と称していた。「去土盤訳為漢算」とあるから「漢算」ともよばれていたらしい。≪銭宝j編『中国数学史』≫ 

1427年   『算術の鍵』アル・カーシー著で、紹介している。

1450年   『九章詳註比類算法大全』 呉敬著 「写算鋪地錦為奇 不用算盤而知数」

1450年頃  『万書萃宝』『万宝全書』『博聞勝覧全書』などの百科全書に「鋪地錦」として掲載している。

1478年   イタリア北西部の町トレヴィソで、印刷された『算術書』(最初の活版印刷
よる算書)に他の方法とともにこれを「ゲロシャ法(Gelosia)」として説明されている。“Gelosia”という言葉の本来の意味は“嫉妬”であり、格子の型は、当時ヴェネチアの窓に用いられたもので、家の中にいる婦人や尼僧が街路から見えないように置かれたものである。≪カジョリ『初等数学史』下≫
(イー・ヤー・デップマン著『算数の文化史』では、「格子状シャッター」の意味とある)

1494年    『算術集成』イタリアのルスカ・パチオリ著(世界最古の複式簿記として有名)にも『トレヴィソ算術』の図が転載されている。 

1573年   『盤珠算法』 著者不詳 「鋪地錦:不用算盤而因乗見総」

1592年   『算法統宗』巻十七・程大位著には、「写算即鋪地錦」とある。

1617年   ジョン・ネピア『棒計算術』で、世界最古の乗除算用具の使用法について述べている。ネピア・ロッド(Napier rods)またはネピア・ボーン(Napier bones)と呼ばれた。(1642年 B・パスカル:機械式加算機を発明、1673年G・W・ライプニッツ:加減乗除の可能な計算機を製作)

1678年   『暦算全書(籌算)』梅文鼎著 「籌算」という呼び名は、「籌」が算木を意味するため誤解されやすいが、前記のネピア・ロッドすなわち「格子掛算」である。中国式の独特な形に改めて、縦線を横線に変え、位を区別するために用いられた斜線を半円に置き換えた。

1693年   『暦算全書(筆算)』 梅文鼎著 詳細については別項で。

17世紀末   『九数略』(朝鮮)崔錫鼎著 甲乙丙丁四巻、丁巻の附録で、「文算、俗称写算、一名鋪地錦」と紹介している。  

1701年    『古今算法重宝記』 鈴木重次著 九九表を縦横9行の格子の目で記している。

1723年   『籌算式』 有沢致貞著
1725年   『算法指要』 有沢致貞著
1764年   『牙籌譜』 山県昌貞著 
1767年   『籌算指南』 千野乾弘著 
1768年   『籌算開平立方法』 千野乾弘著
1770年   『捷径算法』 千野乾弘著 
1785年   『版籌』 乳井貢著 日本で最初の筆算を説いている。
1804年   『筆算』 石黒信由著 「写算」である。
1826年   『帰乗法捷』 鶴峯戊甲著
1841年   『算学必究』 奥村贈㋑著
1855年   『籌式便覧』(帰乗法捷を改題)鶴峯戊甲著
 ?    『籌算』中川淳菴著
 ?    『紅毛算法(オランダ算法・算籌全書)』 著者不詳 
1867年   『西算速知』 福田理軒著 日本で最初の「格子掛算」を用いて「西算」によるを説明している。
1867年   『洋算用法』 柳河春三 アラビア数字を用いたわが国最初の文献である。

1890年頃   フランスの土木技師ジュナイユ(Henry Genaille)が「計算棒」(加算不要で n桁×1桁 の答が求められる)を考案した。≪別冊サイエンス『数学ゲームU』マーチン・ガードナー著 赤攝也・赤冬子訳 ’98≫
 
 上記の外に、≪中華珠算大全≫によれば、「籌碼算盤」として、「在使用籌碼的后期、有了籌碼算盤。一説:到了六朝(420〜577年)末年、才把這種籌碼算盤、改成現在的珠算盤。別説:由于這種算盤在運算上的不便、后被珠算盤所取代。」との説明があり、図入りで記されている。
posted by そろまんが at 15:05| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ネピア棒のことを調べていてここに来ました。1678年の項に興味を持ちました。
中国でネピア棒が改良されたとのこと、どんな人たちが使ったのか、(商業にも?)興味があります。
Posted by Hendevane at 2011年08月24日 23:39
最近このサイトを発見し、楽しませていただきました。

ところで、
V.計算方法の推移

1494年    『算術集成』イタリアのルスカ・パチリオ著(世界最古の複式簿記として有名)にも『トレヴィソ算術』の図が転載されている。 

の部分、私の記憶では著者はパチオリ、あるいはパチオロ、となっていたと思うのですが、ご確認いただけないでしょうか。

つまらないコメントですが、せっかくの素晴らしいサイトなので、失礼を顧みず、コメントさせていただきます。
Posted by 坂本嘉輝 at 2011年10月17日 17:25
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