2010年05月27日

種々の言葉


< 種々の言葉 >

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ツルゲーネフ「散文詩」(Y.1881)に『祈り』がある。
「人間の祈りは、つまり奇蹟を祈る心だ。……どんな祈りも、結局つぎの一句にほかならない。『神よ、二二が四なることなからしめ給え!』
このような祈りこそ、人間が人間にする本当の祈りなのだ。万有の精神に祈り、至上者に祈り、カントの、ヘーゲルの、純粋にして形なき神に祈ることは、……できもせず考えられもしない。
だが現身(うつしみ)の、生ける、形ある神にせよ、はたして二二が四の定則を改めえようか?
いやしくも信者ならば、できると答えるほかはなかろう。……しかも、みずからそう信じるほかはなかろう。
けれどもし、彼の理性がこんなたわごとに反旗をひるがえしたとしたら?
そのとき、シェイクスピアが助けに来る。……『この世にはいろんなことがあるものだ、ホレーショ。……』云々。もしまた、真理の名において抗議が出たら、例の名だかい質問をくり返すがいい。……『真理とは何ぞや?』
されば……飲み、かつ笑い、さて祈ろうではないか。」
「散文詩」は、はじめ「老いたる言葉」と名づけられていた、ということである。
全編を通して理解しにくい面もあるが、反面、時代を越えてこころに響く言葉がある。
こんなところに「九九」が……と、目にとまったのであるが、原文は見ていないので、ロシアごの「九九」については、確認できていない。

 
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インド政府は(2010.7.15)、同国の通貨「ルピー」を示す記号を閣議決定した。国際的にインド経済の影響力が高まっていることから「¥(円)」や「$(ドル)」のような簡略に表記できる記号が必要と判断した。
 記号はアルファベットの「R」をベースにデザイン。Rの縦線を省き、横に2本線を加えた。ヒンディー語で「ルピー」と表記する際の文字にも似ている。
 P T I通信になどによると、政府が昨年コンペを実施。閣議では5候補からインド工科大を卒業したばかりの男性の案が採用された。【協同】(毎日新聞)
 この記号は平仮名の「き」の字の、線より突き出ている部分を取ったものに似ている。

 インドの貨幣は、1957年4月1日、1ルピー(Rupee)=100ナエパイセ(nayepaise)と改訂された。それまでは、イギリス・ポンドとともに命位数が不十進であるので計算に工夫を要して悩んだものである。(戦前の文検につづいて実務検定や競技会にも出題されていた)
 基本的には、江戸時代の貨幣の計算でも同じ方法で計算していた。
 これは、珠算の「一つの盤面で乗除の繰り返しが可能である」「余りが算出できる」「何面も置ける(番面算の利用)」などの特長を活用したといえるし、一方電卓のアキレス腱ともいえる。


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 先ごろ、「ギリシァ」の財政が破綻寸前であるという事が話題になっていた。
 日本の財政赤字はそれ以上であるという。日本の財政を論じるほど知識はないが、不安である。参議院議員選挙を前にして、種々検討して一票を投じなければと思っている。
 ところで、「数学史」では、「ギリシァ数学」から数学らしい数学が発展したとして研究されている。
 数学とは無関係であるが、新聞・テレビなどに出てくる「国名表記」に疑問がある。
 マスコミで記されているのは、「ギリシャ」である。 ところが電子辞書の「広辞苑」(第五版)では「ギリシァ」と打ち込まないと「ギリシャ」では、出てこないのである。(講談社の「日本語大辞典」でも同じであるが、二宮書店の高等学校「基本地図帳」では「ギリシャ」であった。)
 「ロシア」も「イタリア」も「オーストラリア」も、語尾を「ヤ」と打つと出てこない。
 おそらく報道関係者の間では統一されているのであろう。
 しかし、辞書と異なるのは、われわれとしては困る。こどもたちも混乱する。文章を書くときいつでも不安を感じている。
 


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 大阪の地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽丘」駅から、谷町筋を南へ約10分、天王寺西門(春分・秋分には、夕日が西門の鳥居の真ん中に沈むという)の近くに宮大工「金剛組」がある。
 「金剛組」は、飛鳥時代の西暦578年創業で39代続いた宮大工である。日本はおろか世界でも一番古い会社だという。
 その「金剛組」には、次のような『社訓』あると聞いた。
  1.儒教・仏教・神明の三教をよく考え 心得よ
  2.読み・書き・そろばんの稽古をせよ
  3.世間の人々と交際して決して出すぎるな
  4.大酒は慎め
  5.身分以上の華美な服装はするな
  6.人を敬い穏やかな言葉遣いをせよ
  7.目下の人には深い情けをかけ 穏やかな言葉で召し使え
  8.何事も他人と争うな
である。商業・工業の道だけでなく、およそ人生訓としても味わい深い言葉である。
 その中に「ソロバンの稽古」が加えられていることが嬉しい。
 因みに、金剛組の筋向かいの大阪星光学園の近くにある「浄春寺」には、和算「麻田流」の祖「麻田剛立」の墓がある。大阪の会派「大阪競算会」のルーツは麻田剛立に遡るという。


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 『日本のそろばん』山崎譽右衛門・竹内乙彦・鈴木久男編(1976.9.20・暁出版)
 『図説そろばん』竹内乙彦編(平成元年11月1日・共立出版)はどちらも珠玉の大作で、われわれに貴重な資料として遺してくれました。
 その中に「天野屋利兵衛使用のそろばん」があって「元禄五壬申暦(1692年)赤穂御用所 天野屋」と陰刻されており、京都地蔵院椿寺に所蔵されているというが、私は機会がなく残念ながら未見である。
 天野屋利兵衛は忠臣蔵との関係が有名であるがそれはさておき、ここでは「利兵衛の碑」について触れておきたい。
 それは「大阪商工会議所」(大阪市中央区本町橋)の裏通り「シティプラザ大阪」の前、東横堀川の河畔に建つ巨碑である。
 「義侠 天野屋利兵衛之碑」と、題字は近衛文麿、昭和十四年八月の建立である。裏に頼春水(頼山陽の父)の撰文で「利兵衛は名を直之といい、大阪の人。大石良雄から義士復讐の密議を聞き兵器一式を揃え功績を上げた。晩年は京に入り、松永士斎と改名し、椿寺で一生を終えた。」などの意が誌されている。(『大阪史蹟辞典』三善貞司編、S61.7.10、清文堂)
 春は、桜がとても美しいので、会議所の帰りにでも立ち寄られたらどうですか。


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『関孝和の人と業績』(2008.1.25)の中で、小林龍彦氏は「世界的にみて、近世数学史の史料が大量に存在する国は、日本をおいてはまず他にないだろう。しかも、驚くべきことは、それらの史料が日々新たに発見されていることにある。同時に多くの資料が無くなっていることも、また、事実である。兎に角、日本は希な近世数学史料の大国なのである」と述べている。
 『Will』(2009.1)で、日下公人氏も「日本は、世界一と言ってもいいくらい古文書がのこっているし、千年前の書物も同じ日本語で読める」と言っている。
 日本珠算連盟「珠算史に関する専門委員会の報告」(「日本珠算」52、S33.4.1)で、奥村恒夫委員長が、
「(古書や)資料は研究者の閲覧をのぞんでいる。何年間も、否何十年間も、書庫で、虫干し以外に日の目も見ないでいるものがたくさんある」と、50年も前にわれわれにシグナルを送ってくれている。
 大阪中之島の府立図書館にも「和算」「珠算」関係の書籍が相当数所蔵されている。
 私は今、体調不良で医師から外出を止められているが、早く回復したいと望んでいる。


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 「7月になった。今年も半分過ぎて残すところ6ヶ月たらずになった。」
 この文章の中の「6ヶ月」は、現在の新聞・雑誌等では「6ヵ月」または「6か月」と表記されている。
 雑誌『言語生活』(昭和40年7月号)で読売新聞校閲部の金武伸弥氏は次のようにのべている。
 個数を表わす場合は「ケ」を使わない
  [例] 「六か月」(六ヶ月としない) 「十五か月」
  「ケ」は「个」(=箇が本字、个は漢代以後の略字)の代用であるが、これで「か」と読むのは現代の国語表記上好ましくない。
    「か」とよむ場合は「三か月」または、かたかなで「三ヵ月」とし、
    「こ」と読む場合は「個」の字を使うのがいい。(「箇」は制限音訓で「か」としか読まないうえ、補正案では当用漢字から削除されている:現在は常用漢字には含まれている)  [例]「リンゴ一個」(一ケとしない) 「五個師団」

 これと同じように、今ではわれわれの習ったときと異なる表現が使われているのが「分数計算の帯分数の表現」で、たとえば、「1½」をわれわれは「一か(箇)二分の一」と言ったが、今では「一と二分の一」(1½=1+½ のことなので)と言っている。
 
 小・中学生の教育に携わっているわれわれは、言葉の専門家でなくても、言葉も文字も、できる限り正しく新しい表現方法を心がけるべきであろう。


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 『蘭学事始』(杉田玄白著、緒方富雄校註、岩波文庫)の解説に添付の年表を見ていて「オヤッ?」と思うことがあった。
 「寛政六(1794)年 蘭学者たちが新元会を開いて、西暦の正月を祝った。」とあったのである。
 この年閏11月11日が、西洋のグレゴリオ暦の1795年1月1日にあたったので、玄白の弟子、大槻玄沢は家塾「芝蘭堂(しらんどう)」に江戸在住の蘭学者を招いて、「新元会」と称する賀宴を開催した。これを「オランダ正月」の宴と言ったそうである。
 この起源は長崎出島のオランダ商館で催された新年の賀宴で、1683(天和三)年1月1日が最初とのことである。
 鎖国下にあった時代に、このような宴をよく開けたものである。それにしても、戦後になって「クリスマス」や「ハロウィン」を楽しむという習慣が発生した素地は、すでにこの時代あったのだ。


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ここに『俳諧 武玉川』【慶紀逸編(本名 椎名件人・宝井其角の門人)寛延三(1750)年〜明和八(1771)年】がある。 所収による「ソロバン」の句6句を挙げてみよう。
  初編     節季(せっき)の息子算盤に乗(そろばんにのる)
  五編     そろ盤ヘ乗せれハ人も怖い物
      十露盤の昼から違ふ三五の夜(十五夜)
  六編     十露盤(そろばん)を伯父へ直して消たかり(きえたがり)
  八編     そろばんを息子の顔へはしきかけ(はじきかけ)
  九編     そろ盤つくて(そろばんずくで)立るにしきゝ(錦木)
 特に、最後の句は、芥川竜之介の心に通じるか。


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 芥川竜之介著『侏儒の言葉』に
 「わたしは三十歳を越した後、いつでも恋愛を感ずるが早いか、一生懸命に抒情詩を作り、深入りしない前に脱却した。しかしこれは必ずしも道徳的にわたしの進歩したのでない。ただちょっと肚(はら)の中に算盤をとることを覚えたからである。」がある。
 昭和初年に書かれたものであるという。「ソロバン」について、その頃の一般の生活でも、このような認識でのみ使う人が多かったのであろうか。


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 「九九」といえば、かけざんの九九のことを指します。
 なぜ、「九九」というのかについて疑問をいだき、その解明に努力されたのは、文学博士山田孝雄・理学博士三上義夫の両先生であるという。
 ある言葉や文字の集団に命名する場合で適切な語がないとき、初めのいくつかを取って名とするのが自然である。「いろは」しかり「アルファベット」(ギリシヤ文字のα:アルファとβ:ベータを合せた)しかりである。
 222年前の1788年、大槻玄澤著による『蘭学階梯』につぎのような文章があった。
  「和蘭ノ学ヲ為ント欲セバ…、彼文字ハ僅ニ二十六“アベセレッテル”ト云フ、“アベセ”ハ二十六字ノ首メノ字ヲ挙テ名トス」。此方ニテ平仮名四十八字ヲ“イロハ”ト云フガ如シ“レッテル”ハ文字ノコトナリ。此外二数量字(カズジ)九ツ合セテ三十五ナリ…」
というような通例から、両博士は、今では九九は「一一ガ一」から始まり「九九八十一」で終るが、昔はきっと「九九八十一」から始まっていたであろうと言う説を立てられた。
 たまたま大正の末、名古屋市の真福寺大須観音宝生院で『口遊(くちずさみ)』(源為憲著・970年)の写本が発見された。その中に九九表があって、紛れもなくそこには、「九九八十一」から始まり「一々一  謂之九々」で終っていたのである。
 その後『拾芥抄(しゅうがいしょう)』(洞院公賢:とういんきんかた編、鎌倉時代末期)にも見つかって、両博士の説が証明された。
 なお、中国の敦煌や居延で出土したものも「九九八十一」からだという。
 『和算以前』(大矢真一著)には、「古い時代には計算を行うのは特権階級であって、一般人に九九の成り立ちを知らせないために、わざと難しい方から唱えさせたと考えられる」とある。


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 29年ぶりに「常用漢字」が196字追加・5字削除されて2136字となったことが発表された。
常用漢字とは「義務教育が終了するまでに読めて、高校卒業までに書けることが望ましい漢字」ということである.(毎日新聞)
 今回追加された中に「桁」があった。今までは珠算界では、たとえば、654,321×98,765の問題を、実6けた、法5けたと表示されていた。しかし、これからは実6桁、法5桁と表示してもよいことになったのである。
 中国における文字の歴史は、殷王朝(前16〜前11世紀)の半ば頃に始まるといい、1716年刊の『康煕字典』に収録した字の総数は四万五百余というから、驚愕の数である。
 もともと文字をもたなかった我が国に持ち込まれたのは、第15代応神天皇の御代とするのが一般的だという。(『漢字おもしろ知識』橘与志美著・白帝社・S57)
 ワープロ・パソコンの時代になって「漢字」に対する考えが、社会的に変化しつつあるが、『字通』の著者の故白川静先生によると、
「教える漢字の数を制限するのは誤りである、漢字は覚えなくても、体を通過させておけば後で役に立つのですから、吸収力の旺盛な子供のうちに、食べさせておくことが大切なんです。漢字の知識は日本語の骨、カルシウムですからね。」(1996.11.16・朝日新聞)

 われわれのソロバンも同様に「血となり、肉となる大切なもの」であることを、これからも世に訴えつづけなければならないと思う。


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村上春樹著の『1Q84』がこの半年間で、124.3万部の販売を記録したらしい。
このように、レコード・CD、本などが100万以上売れることを、ミリオン・セラーという。
江戸時代の『和算書』の発行部数は、一枚の版木から摺ることのできる枚数は幕末の記録では300枚、無理して摺れば500枚という。また別の資料によれば、二百部から五百部は桜の版木を使用したが、上物で部数の多いものは、黄楊(つげ)版木を使用し千部印行することもあったという。
そのころは、書籍が千部売れると「千部ふるまい」といって大々的に出版祝いをしたらしい。
相撲や芝居などの興行場などで、客がいっぱい入ることを「大入り」といって「満員御礼」という札や幕を掲げたりして、従業員に慰労と祝いを兼ねて金一封を配る。
「大阪万博」の折、その野外劇場で実施した「万博そろばんショー」(1970.8.29)では、担当者の尽力により、予想以上の2,100人の観客を集めたので、万博協会から関係者に「大入袋」が出たという。速いものであれから40年経ったが、あの時の「大入袋」の中身はいくらだったのであろうか。五円か十円くらいかな?因みに現在の「大相撲」での大入袋には、十円玉が入れられているという。


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森繁久彌さんが、昨年11月10日96歳で亡くなられて、半年が過ぎても未だに時々話題に上っている。
森繁さんといえば、加藤道子さんと46年にわたったNHKラジオ「日曜名作座」であるが。
私が思い出すのは、やはりNHKラジオ番組での「伊豆の漁師の体験談」である。

「森繁さん、私は神や仏があるということを信じます」という前提での漁師の話。
若いころ、船でベーリング海峡の方へ魚を獲りに行っていました。嵐に遭って船が難破したのです。海に放り出されて、近くにあった木材につかまって一晩浮いていました。夜が明けて仲間の船が見つけてくれて助けられました。服を着替えて、温かい食べ物を貰ってホッとしました。落ち着いてフト思ったのは、一晩つかまっていた「木片」のことで、あの木片があったから助かったのだと思うと気にかかり、船長に尋ねると知らないという返事。無いとなるとますますほしくなりました。その間、船は港に向かって進んでいます。
船長に「木片を取りに帰ってほしい」と頼みましたが、聞き入れてくれません。4時間ねばった結果、船長が根負けしてかえってくれることになりました。往復8時間かけて助けあげられたところと思われる辺りに着いて皆で探してくれました。しばらく探しても見つかりませんでした。諦めて帰ることにしました。
そのとき、驚いたことに漂流している二人の人が居たのです。
神様・仏様が手を貸して助けてくれたのです。
この世には「人智の及ばない、不思議な力」があるという話です。


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「33554432」 という面白そうな数がある。これは2²⁵のことで、2×2×…というように2を25回掛けた数である。
私にも、父母一人ずつ二人(2¹)の親が居た。その両親にも二人ずつすなわち4人(2²)の親が居た。というように24回計算すると、2²⁵=33554432となる。
私には25代前には33554432人の人が居り、その間の人を加えると67108862人なって、その中の一人でも欠けると、現在の私は存在しないのである。(私一人についての話である)
奈良「薬師寺」元管主 高田好胤さんは、その著『母』のなかで、
「私たちの生命はこんなに大変な数のご先祖さまが、いま、私たちひとりひとりの生命になってくださっているのであるということを自覚せねばなりません。つまり、たかだか、三十年や四十年、五十年の私たちの経験だけで生きているのではなくて、大変な数のご先祖さまの喜び、悲しみ、そのた諸々の精神的、肉体的経験が、私たちひとりひとりの血の中に流れて、そのお蔭で生かしていただいているのだ、ということを私たちは知らねばならないのです。」と(三々五々・サンサンゴゴのご先祖さま)説いておられます。
話は変わって、1代を30年とすると25代は750年前となり、13世紀中葉の鎌倉時代である。資料によると、その頃の人口は684万人(3330万人となったのは明治維新の頃である)でとても3000万人には足りない。
この矛盾を考えると、途中で共有しているのである。750年の間に、何回も入り混じっているということを、私たちはこれまた自覚しなければならない。私たちは、いつか・どこかで血がつながっているということを知ると、差別など発生しないと思う。


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時々、気分転換を図るため「数独」を楽しんでいるが、ゲーム機ではないので、鉛筆と消しゴムが活躍している。筆算のことを調べると、筆算と紙などの筆記用具との関係を論じる人がいる。
1736年フランス学士院より、南米に派遣された探険家の一員、シャル・アルア・ド・コンダマンがゴムの見本を本国に持ち帰り、これを欧州の学界に紹介した。その後使用方法を具体的に研究する者が現れて、1770年イギリスの化学者、ブリース・トレイが鉛筆の痕跡を抹殺するには「ゴムが有効である」ことを提唱した。
「ゴム」の最初の用途は「字消しゴム」として使用されたという。
それが、自動車や自転車のタイヤとしてではなく、パッキングでも水枕でも、もちろん風船でもなく、「消しゴム」であったとは愉快である。


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近ごろ「検定試験」が多く実施されて、さながら「世は検定ブーム」である。
現在最も新しい「検定」は、平成22年5月23日施行の「さかな検定」(一般社団法人日本さかな検定協会)『通称ととけん』である。創設の主旨としては「“魚を学び、旬をおいしく食す”日本に生まれた しあわせを味わいつくす贅沢な趣味検定」だそうだ。
「技術検定」のほかに、「大阪検定」「京都検定」などのような「ご当地検定」、「江戸検」のような「歴史検定」、その他沢山あるが、われわれの「珠算検定」は、
第1回「珠算証明試験」昭和3(1928)年3月18日、(主催 東京市立実業学校珠算奨励会)
第1回「珠算能力検定試験」昭和6(1931)年2月15日、(主催 東京商工会議所に移管)
全国統一第1回「珠算能力検定試験」昭和19(1944)年10月15日(主催 全国商工経済会⇒全国商工会議所珠算連盟⇒日本商工会議所)で、現在の能力検定はここから数える。
「珠算能力検定試験」が日本の「検定試験の嚆矢」であることに誇りを持ちたい。


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「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
川端康成の「雪国」の書き出しであってよく知られているので、テレビなどで耳にすることが多いが。全て「コッキョウの長いトンネル…」といっている。
これは「クニザカイの長いトンネル…」ではないか。


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会議などで「…うんぬん」という言葉がよくでてくる。これを「…うんうん」という人がいたが間違いではない。現に広辞苑には、「ウンウンの連声」とある。
ところが「うんぬん かんぬん」という人が何人かいた。これはどうだろう。「うんぬん」には「云々」という漢字はあるが、「かんぬん」に相当する漢字は見当たらない。


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首相の近頃の言葉に疑問をもつ。むずかしいことは分からないが。言葉が丁寧であればよいものではない。
一度の会見で「努力申し上げなくては…」の外に「除去」「軽減」「理解」などを耳にした。
「努力」は申し上げるものか?
特に首をかしげたのは、北朝鮮に対して、「非難申し上げなくてはならない…」(全国知事会議・22.5.27)である。漢字を読み間違うことと、どの程度の差があるだろう。


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NHKの「ラジオ深夜便」のアンカーのなかに、深夜12時の時報のまえに「まもなく0時の時報です、今日から明日になります」という人がいる。「あぁそうか」と聞き流してしまうが、よく考えると疑問を感じる。日にちが変わっても「今日」になるのであって、「明日」にはならないのである。「今」という時がないように、時は不思議なものである。


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日本では「明治維新まで科学らしい、科学はなかった」という人がいる。
実証可能な体系的な自然科学はなかったといえるが、それをカバーしたのは、「勘」であるといわれる。時として「研ぎ澄まされた勘は、科学を超える」と思っている。
その勘の持ち主として、われわれの周りでは金武昌男先生が随一と崇敬している。


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「合理的なものは、美しい」ということを、私は合理性の判断基準としている。
女性のプロポーションも、スポーツのフォームも、数学の黄金比率も、もちろん「ソロバンの指さばき」もそうである。
以前、テレビで「カッコイイより、美しくなければダメですよ」という、ブルースの女王「淡谷のり子」の一言が心に残る。

posted by そろまんが at 22:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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