2009年11月07日

「割算の九九」(割り声)について

割算の九九」(割り声)について
村 上 耕 一

0.はじめに
平成17年9月京都で日本数学協会近畿支部結成集会が開かれました.
その記念講演で,日本数学協会の田村一夫副会長が「割算の九九の実技」を見事に見せてくださいました.
日頃珠算教育にたずさわっている私たちですが,過去のものとなった「割算の九九」については,知らない指導者が増えているのが現状です.
そのような時にその活用を実地に示していただき今更ながら驚きとともに,先人の知恵を目の辺りにして感慨無量でありました.
その田村先生から「実技は見てもらったので,歴史などについてはあなたに任せる」といわれましたので,不十分ではありますがまとめてみました.

1.「九九」について
 中国ではすでに三千年以上前に「かけ算の九九」があったといわれ,敦煌の出土品をはじめ居延や楼蘭でも九九の表がみつかっています.
 日本でも970年に著された『口遊(くちずさみ)』が残っていて,そのどれもが「九九八十一」から始まっているので「九九」といわれるようになったようです.
 ところが,中国からソロバンと同時代に伝わった数学書『算法統宗』(1592・程大位)にでている「斤下留法という,16で割る九九」,そして江戸時代の日本で研究された「飛帰といわれる,金44(銀43)で割る九九」,「開平に使用する,半九九」とか,現在でも初心者用として使用している「足し算の九九」や「引き算の九九」などいろいろな「九九」が考え出されました.
 しかし,本来「九九」といえば「かけ算の九九」のみを指す言葉なのです.
 したがって日本では,「九九」と区別して「割算の九九」のことを「割り声」といって,昭和二十年代後半までソロバンによる割算に使われておりました.

2.中国での割算のうつりかわり
 中国では初期の頃から計算用具として,「籌」とか「籌策」とかいうもの(長さはマッチ棒くらいで,太さは軸を4本くっつけた程度の棒.日本では「算木」といった)が使われていて,計算には不便で手間がかかりました.しかし,不便であるということが,いろいろ「工夫」を生んで発展していったのです.
 その間一貫した考え方として「どうしたら,商を安易に案出することができるか」という点を中心に研究されてきたのであります.
 割算の計算方法は、
 (1) 金蝉脱殻(きんぜんだっこく)といわれる「引算法」
 (2) 三段布算・二段布算による,現在の筆算ともいえる「商除法」
 (3) その中で,除数の首位数が一の場合,一を省略して計算する「省一法」
 (4) 省一法を使うために,あえて除数の首位を一にして計算する「求一法」
 (5) 補数を利用して(加減のみで)簡単に答を求める「増成一法」
 (6) 「増成一法」から発展して,割り声を使う「帰除法」
というように移り変わったのであります.
 その割り声でする「帰除法」が,ようやくその頃中国で普及してきた「ソロバン」に適応されて一緒に日本に伝わってまいりました.

3.「数学」のわが国への伝来
 よく知られているように,わが国に外国から数学が伝来した時期は大きくは過去3回ありました.
 第1回目は,奈良時代のすこし前で,計算用具としての「算木」と「九九」そして「暦」が中国から伝えられました.九九はすぐに当時の知識人の間に広まり,「万葉集」のなかに九九を使った歌が17首あるそうです.
 第2回目は,室町時代後期で,やはり中国から計算用具としての「ソロバン」と割算の九九「割り声」でした.
 第3回目は,もちろん明治維新の直前で,西洋から伝えられた「インド・アラビア数字」と「近代数学」であります.

4.「帰除法」(割り声を使った割算)の成立過程
 北宋の沈括(1030〜94)の著した『夢渓筆談 巻十八』に記されているという「増成一法」の計算方法を記してみることにします.もちろん計算用具は算木ですので,一つの位に十を超える数が布数できることを前提にしてください.
 例  245÷7=35           (除数7の補数である3を利用する)
 除数   百位   十位   一位
  7 2 4 5 盤面の各位に 2−4−5 と布数する.
  +3          百位が2であるので,下位に7の補数 
           +3          である 3 を2回足す. 
2 10 5   盤面は, 2−10−5 となる.
−7          十位の10から7を引けるだけ引く.
+1               1回引けたので,百位に 1 を足す.
B 3 5   盤面は,B−3−5となる.(前のBは答)
+3     十位が3なので,下位の一位に7の補 
+3     数の 3 を3回足す. 
+3
B 3 14   盤面は,B−B−14となる.
−7     一位の14から7を引けるだけ引く,
−7     2回引けたので,十位に2を足す.
+2
B D        盤面は,B−Dとなって,答は35である.

もっと簡単な例で示すと,
 例  32÷8=4            (除数8の補数である2を利用する)
 除数   十位   一位 
   8    3    2        盤面の各位に3−2と布数する.
           +2          十位が3であるので,下位の一位に
           +2          8の補数である 2 を3回足す.
           +2
       3    8        盤面は,3−8となる.
           −8          一位の8から8を引けるだけ引く.
      +1               1回引けたので,十位に1を足す.
       4             盤面は,Cとなって,答は4である.
 このように 30÷8=3…6は,自然な形で「八三下加六」(30÷8は,3はそのままで下位に6を加える)と言うようになっていったことがわかります.

5.「割算」と「割り声」との対比
 「割り声」は,中国の『算法統宗』などでは「九帰歌」といわれました.また,わが国最初の刊本数学書ともいわれる『割算書』(1622・毛利勘兵衛重能)には「八算之次第」として掲げられています.
 つぎに,「割算式」と「九帰歌」,『格致算書』(1657・柴村籐左衛門盛之,昭和まで伝承されてきた原型といわれる)の「割り声」とを対比して掲げてみました.

「割算式」    「九帰歌」    『格致算書』
10÷2= 5    二一添作五    二一天作五   ニイチテンサクノゴ
20÷2=10    逢二進一十    二進一十    ニッチンインジュ
40÷2=20             四進二十        
60÷2=30             六進三十
80÷2=40             八進四十

10÷3= 3…1   三一三十一    三一三十一   サンイチサンジュウノイチ
20÷3= 6…2   三二六十二 三二六十二 サニロクジュウノニ
30÷3=10     逢三進一十    三進一十    サッチンインジュウ    
60÷3=20             六進二十 
90÷3=30              九進三十  

10÷4= 2…2   四一二十二    四一廿二    シチイチニジュウノニ
20÷4= 5     四二添作五    四二天作五   シニテンサクノゴ 
30÷4= 7…2   四三七十二    四三七十二   シサンシチジュウノニ
40÷4=10     逢四進一十    四進一十    シッチンインジュ 
80÷4=20              八進二十 

10÷5= 2     五一倍作二    五一加一    ゴイチカイチ
20÷5= 4     五二倍作四    五二加二    
30÷5= 6     五三倍作六    五三加三    
40÷5= 8     五四倍作八    五四加四    
50÷5=10     逢五進一十    五進一十

10÷6= 1…4   六一下加四    六一加下四   ロクイチカカシ
20÷6= 3…2   六二三十二    六二三十二
30÷6= 5     六三添作五    六三天作五
40÷6= 6…4   六四六十四    六四六十四
50÷6= 8…2   六五八十二    六五八十二 
60÷6=10     逢六進一十    六進一十

10÷7= 1…3   七一下加三    七一加下三   シチイチカカサン 
20÷7= 2…6   七二下加六    七二加下六
30÷7= 4…2   七三四十二    七三四十二
40÷7= 5…5   七四五十五    七四五十五
50÷7= 7…1   七五七十一    七五七十一
60÷7= 8…4   七六八十四    七六八十四
70÷7=10     逢七進一十    七進一十

10÷8= 1…2   八一下加二    八一加下二   ハチイチカカニ 
20÷8= 2…4   八二下加四    八二加下四
30÷8= 3…6   八三下加六    八三加下六
40÷8= 5     八四添作五    八四天作五
50÷8= 6…2   八五六十二    八五六十二
60÷8= 7…4   八六七十四    八六七十四
70÷8= 8…6   八七八十六    八七八十六 
80÷8=10     逢八進一十    八進一十

10÷9= 1…1   九一下加一    九一加下一   クイチカカイチ
20÷9= 2…2   九二下加二    九二加下二
30÷9= 3…3   九三下加三    九三加下三
40÷9= 4…4   九四下加四    九四加下四
50÷9= 5…5   九五下加五    九五加下五 
60÷9= 6…6   九六下加六    九六加下六
70÷9= 7…7   九七下加七    九七加下七
80÷9= 8…8   九八下加八    九八加下八
90÷9=10     逢九進一十    九進一十
 唱え方は,地方や時代によって多少異なるようですが,語呂がよい上記のような唱え方になったらしいのです.
 ではなぜ,1÷2を二一と逆に唱えたのかいう疑問ですが,これはすでにあった「かけ算の九九」(すべて順九九のみ)と区別の必要があったことがあげられます.
 しかし,私は今一つ分数との関係もあると思っています.というより文字通り「分数は数を分ける」すなわち「割算」であります.
 1÷2=1/2 を,中国では『二分之一』,わが国でも『二分の一』と除数を先にいいます.
 しかし,英語ではone two と被除数・除数の順番にいうそうです.
 
 余談になりますが,ご承知のように,「分数」の発生については最古の数学書といわれるエジプトの「リンド・パピルス」(B.C17世紀ごろ)のことはよく知られています.
 ところが,中国でも最も古い数学書の一つである『九章算術』が2千年前にはできあがっており,現在小・中学校で取り扱う程度の分数のほとんどすべてが,すでにこの書物に載せられていて,分母・分子・通分・約分などの用語が使われているというから驚きです.

6.「割り声」の構成とその意味
 前述の割り声は,つぎの5種類の句法で構成されています.
 @ 【何】進一十
  例 二進一十(20÷2)ニッチンインジュウ
    二は二十の中に一十あるので,二を1桁進めて一十にする.


 A 【何何】天作ノ五
  例 二一天作ノ五(10÷2)ニイチテンサクノゴ
    二は一十の中に五つあるので,天に五を作る.
    (ソロバンの上方向を「天」という)
 B 【何何】○十ノ○
  例 三一三十一(10÷3)サンイチサンジュウノイチ
    三は一十の中に三つあって一残るので,一を三(30)にして下位に一を加える.
 C  五【何】加○
  例 五三加三(30÷5)ゴサンカサン
    五は三十の中に六つあるから,三加えて六にする.
 D  【何何】加下○
  例 七は二十の中に二つあって六残るので,下位に六を加える.

7.計算例
 
  しばらく省略します.

8.むすび
 ソロバンが日本に伝えられてから約500年といわれています.ソロバンを計算の道具として,日本独特の数学である「和算」が江戸時代を通して発展しました.
 それが明治の文明開化の促進におおいに貢献して,西洋文化の受容を容易にしたことは知られているとおりであります.
 戦後の経済復興を立派に成し遂げられたのも,ソロバンを基礎とした日本人の計数感覚にあるといっても決して過言ではありません.
 終戦直後のアメリカの教育使節が「日本の教育の,漢字と片仮名・平仮名など複雑な言語・文字によるハンディキャップを補っているのは,ソロバンによる」と報告したと聞きました.
 その頃は,まだ「ソロバンといえば,二一天作ノ五」でした.これは「九帰歌」とか「九帰歌訣」とかいわれ,中国で生まれた世界に類例のない,文字通り「割算の歌」であります.苦手なかけ算・わり算を「九九」や「割り声」という語呂のよい歌で楽しく?計算するという,知恵に感動します.
 この「割り声」も,戦後の教育改革とソロバンの就学対象者の低年齢化など状況の変化により,昭和二十年代から三十年代にかけて珠算界での大論争の末,ソロバンの世界からその姿を消しました.
 現在の珠算による割算は「商除法」(中国での発生は帰除法より古い)といって,筆算と同じような方法で計算しています.
 その結果,珠算は技術的にも数理的にも大きく飛躍したことは否めませんが,われわれ珠算人にとって「二一天作ノ五」が,日本のソロバンのルーツであることに変わりなく,これからも大切に受け継いでいきたいと思っています.

●…………参考文献
『珠算算法の歴史』山崎與右衛門・戸谷清一・鈴木久男,森北出版株式会社(1958)
『珠算襍記』第五集,日本大学珠算研究会(1961)
『東西算盤文献集』第二輯,山崎與右衛門,森北出版株式会社(1962)
「九九について」須賀源蔵,『塵劫記論文集』(1977)
『和算以前』大矢真一,中公新書(1980)
「九帰法成立の背景」戸谷清一,『数学史研究』92号(1982)
『分数と% なるほどゼミナール』船越俊介,日本実業出版社(1984)
『日本人の数学感覚』下平和夫,PHP研究所(1986)
『珠算の歴史』増補訂正版,鈴木久男,珠算史研究学会(2000)

『数学文化』No.6(2006.6)所載
posted by そろまんが at 16:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月21日

ソロバンの形体の推移と付加的効果

ソロバンの形体の推移と付加的効果
                   大阪府 村 上 浩 一
はじめに
 かけ算の九九は、中国で敦煌や居延で出土した頃から、わが国に伝わってからの『口遊』『拾芥抄』までも、九の段すなわち「九九八十一」から始まっている。
 これについて『和算以前』(大矢真一著)では、「計算を行うのは特権階級であって、九九(の成り立ち)を一般人に知らせないために、わざとむつかしい方から唱えさせたと考えられる」とあります。
 ソロバンが誕生した頃、このように普段の社会生活で数になじみのなかった時代に、計算に当って数の成り立ちを理解することが、相当困難であったことが想像できるのである。

1.
 「珠算」という言葉が出ている最も古い文献は、中国漢末(2世紀ごろ)の徐岳が撰し、北周【6世紀ごろ】の甄鸞(ケンラン・シンラン)が註釈を加えた
『数術記遺』であるといわれる。
 この書には、「積算(等)、太乙(一)、両儀、三才、五行、八卦、九宮、運算、了知、成数、把頭、亀算、珠算、計数(算)」の十四の計算方法があげられていて、ここに記されている算器は、すべて十進数(0から9までの数)を表示できるようになっている。
十三番目に記されている珠算は、甄鸞の注釈から想像すると、天一地四(五珠一顆・一珠四顆で、一桁に0〜9まで表示できる)のソロバンであって、使っていない珠を「游珠」といっていることから通称「游珠算盤」ともいわれている。

2.
 宋(960〜1127)から元(1271〜1368)時代になると、商業がおおいに盛んになって、
1斤=16両とする斤両法の計算が必要になった。
 『中国数学史』〔銭宝j編 1990.2.28 みすず書房〕等によれば、古代中国の度量衡は、周尺の名称があったことからみても、周の時代(前1122頃〜前770)に発生したものと思われるが、各単位の進位法はかなり乱れていた。それを統一して法制化したのは秦(前221〜前206)の始皇帝である。
 しかし、成文化したのはさらにおくれて、≪漢書≫【後82年頃成立】『律暦志の条』にあるのが最初であるという。
 『律暦志』の記すところによれば、
     度: 1引=10丈=100尺=1000寸=10000分
     量: 1斛=10斗=100升=1000合=2000龠(ヤク)
     衡: 1石= 4鈞=120斤、  1斤=16両、1両=24銖 
 後世、度の“分”の下にさらに、
        1分=10釐=100毫=1000絲=10000忽
    量の“合”の下に、
        一合=10抄=100撮=1000圭=6000粟
    衡の“銖”の下に、二単位
        1銖=10累=100黍(ショ・キビ)
が増設された。
これらの増設単位は実際のところ、十進小数の概念から発生したものである。
  
3.
一方ソロバンの形体の推移をみると、つぎの通りである。
【中 国】 算木(籌・策・算子) ⇒ 天一地四(数術記遺の珠算) ⇒
 天二地五(天一地もあったらしい)⇒【日本に伝来】
【日 本】 天二地五 ⇒ 天一地五 ⇒ (現在の)天一地四
 1978年、青色20粒、黄色70粒、直径1.5〜3pの「西周陶丸」が出土しているので、数術記遺の計算用具は、すべて陶丸を使ったのではないかと思う。陶器の方が丸い珠が作り易かったのではないか。
 ではなぜ、製作が比較的容易である「算木」から、「珠」が作りにくいと思われる、ソロバンに移っていったかである。
 それは、携帯に便利であるとともに、度量衡の1斤=16両という進位法が、すでに商取引でさかんに使われて15(16ー1)にこだわったからであろう。
 このことは、『算学啓蒙』(1299年)の出題問題をみても明らかである。
 なお、1斤が16両というのは、四季【春夏秋冬】の4と四方(東西南北)の4とをかけあわせた数をあらわしているという。(薮内 清著『漢書・律暦志』)

4.
 このように実用の16進数に適応するため、一桁に0〜15の数を表示することが不可欠となり、その必要から≪天二地五のソロバン」が生まれたのであろう。
 ところが、ここにこの「天二地五」の形体になったことにより、さらに利点が生まれたのである。
 それは、たとえば、
     2 を布数すれば 10 に対する補数 8と、5 の補数 3 が、
     8 を布数すれば 10 の補数である 2 が、
直感的に把握されて、計算機能に教具としての性能が加わり、一般の人達にとって都合の良い初歩の数教育を兼ね備えた計算器具になった。


5.
 しかし、中国でも、
 『古今算学宝鑑』(1524年)
     作五訣、成十訣、破五訣、破十訣はソロバンの口訣のみ記載。
 『盤珠算法』(1573年)
     隷首上訣【123456789の累加】
     退法要訣【1111111101=地五であるので十十十十十十十十一から123456789の累減】
         (十=10、一=1のことである)
 『算学通軌』(1578年)
     九九上法語【加算の歌訣】、九九退法語【減算の歌訣】
 『算法統宗』(1592年)
     九九八十一【上法:加算】
などによれば、普通の加減算の説明では頂珠〔天二の上側の珠〕を使用したという例は、見受けられない。
 もっとも、時に応じて頂珠を利用しても差し支えないのであって、算書の中には、乗・除算の説明の中で、『盤珠算法』金蝉脱穀法の問題、『算法指南』(1604年)などに、五珠2顆の使用例が見えるとのことである。
    
6.
 度量衡は、しだいに十進法に改められていったが、1斤=16両は依然として旧時代の進位法を保留していて、計算は大変煩瑣であったことが容易に想像できる。
 そこで、この計算を簡略にするために、楊輝『日用算法』(1262年)は、1両の価格から1斤の価格を求める【1÷16の】歌訣〔初見〕を作っている。
 また、朱世傑『算学啓蒙』も、つぎの“斤下留法”の十五句を叙述している。
 ≪斤下留法(キンカリュウホウ)≫
    一退(タイ)六二五            二留(リュウ)一二五
    三留一八七五               四留二五
    五留三一二五               六留三七五
    七留四三七五               八留単五
    九留五六二五               十留六二五
    十一留六八七五              十二留七五
    十三留八一二五              十四留八七五
    十五留九三七五         
 この歌訣は、日本でも『算用記』(16世紀末・龍谷大学蔵)では「たうめ(唐目)十六わり」、『割算書』(1622年)では、「小一斤」といい、その後の多くの和算書では「タバコ算」ともいわれるように、主にタバコの取引に使用されてきた。

7.
 ここで、日本の「五つ玉ソロバン」と「四つ玉ソロバン」について、補数という観点から考察してみると、
◎ 五つ玉ソロバン(天一地五、天二地五)は、「1桁の補数」の認識に適しており。
◎ 四つ玉ソロバンは、「2桁以上の補数」の読み取りに適している。
のは言うまでもない。
  石川新次先生が、『帰除便蒙』(1941年)で、「珠算は、補数にはじまり、補数におわる。補数は、珠算のABCたるとともにXYZである。1を置くことからして、この補数の観念をはなれては、なし得ない。」と、珠算学習にとって補数の理解は大切な要素であることを述べている。

 余談であるが、このXYZの研究から、珠算独特の多くの特別算法〔補数加・減算、簡便算、過大数乗・除算、裏面数乗・除算、開平、開立など〕が発展し、普及していったのである。
 しかし、現在の検定試験合格が至上という珠算界の風潮では、作問規定などにより、特別算法の使用頻度が低くなって、珠算独特のこの大切なものの次代への伝承が危ぶまれることを私は危惧する。
 『どのような文化であっても、その独特の技術や精神が正しく伝承されてこそ、未来に引き継ぐ正しい伝統が生まれるからである。』

8.
 次に、外国のソロバンも含めて、1桁の玉数から検証してみると。
 「ローマのソロバン」は、1桁に0〜9まで、
 「中国ソロバン」は、  1桁に0〜15まで、
と、進位数より「1」少ない数まで表示することができるように作られている。
 しかし、「ロシアのソロバン」と「日本の五つ玉ソロバン」は、十進法適応でありながら、1桁に0〜10まで表示できるため、十を表す方法としては、2通りあるのである。〔百は3通り、千は4通り……の表し方がある。〕
 この観点から、
 日本の「五つ玉ソロバンは、中国ソロバン(天二地五)から、四つ玉ソロバンへの単なる通過点」と見てもよいのではなかろうか。

9.
 また余談になるが、1781年、津軽藩(青森地方)の乳井 貢が『初学算法』を著し、その中で天二地五の矛盾点を突いて、「四つ玉ソロバン」を提唱している。天二地五のソロバンが広く普及していた時代に、天一地四の「四つ玉ソロバン」を主張しているのである。
 さらに、乳井は「版籌」なるものを考案し、その解説書『版籌』(1784年)を著した。そこには、おそらく日本で最初の「筆算的計算方法(中国の『暦算全書』のように、縦書きで漢数字を使用した)」を叙述している。
 しかし、これらの説や『版籌』が普及しなかったのは、乳井 貢が津軽藩の勘定奉行などの重責を担う経世家で博学の士ではあったが、専門的な和算家ではなかったことが一番の理由と私はみている。
 いずれにしても、二百年も前に、当時としてはこの様な奇想天外ともいえる考え方の人が居たことに驚きを感じるのである。
 乳井 貢については、別稿にまとめたいと思っている。

10.
 わが国では、伝来してより江戸時代を通して「天二地五」のソロバンが主流であったが、明治になってようやく「天一地五」のいわゆる「五つ玉ソロバン」が主流を奪った。
 しかし、天一地五への移行が、たとえ「通過点」であったとしても、前述のように補数の把握の容易さという付加的効果が、引き続いて庶民や子どもたちのソロバン導入の助けになったことで、大いにその役割を果たしたのである。
 このように、江戸期におけるソロバンの普及は、明治期になって「横書き(左から右へ)の数字の記数法と西洋数学の理解」を容易にし、文明開化の促進に大いに貢献したことは、大方の首肯するところであろう。
 延いては、珠算とそれによって培われた数感覚が、今日の経済発展にもつながったのである。

11.
 昭和13年、文部省は『尋常小学算術』第四学年児童用下(いわゆる「緑表紙」)で数表示がインド・アラビア記数法と一致することを最大の理由として「四つ玉ソロバン」を推奨した。
 当時の学校教育では、一年生で算数の基本として、筆算指導で十進数の構成を学習していて、四年生になって学習する珠算指導では、一珠5顆の存在する意義が消滅していった。
 一方、珠算の塾・教室においても、「加減法」の研究がなされて指導法が確立することにより、しだいに、「四つ玉ソロバン」に移行されていった。
 それと呼応したかのように、相前後して算法の面でも、割算が「帰除法」から「商除法」へ先祖返りの大転換を図った。
 その後、定位法の関係もあって、掛算も「頭乗法」から「新頭乗法」に移行して、ともに社会に受け入れられて普及し、現在に至っているのである。
 この「四つ玉への移行と商除法の採用」とが、今日の珠算の発展と、特に「暗算の普及につながった」ということができる。

おわりに
 もし、『数術記遺』を著した《徐岳》や《甄鸞》が生きていて、ソロバンが「中国で、“四つ玉”として生まれ、約二千年の時を経て、日本という地で、もとの“四つ玉”に回帰した」こと、そして「日本を含めた、アジアの人々の数学と、社会生活や経済活動に与えた影響の大きさ」を知ったとしたら、どのような感慨を持ったことであろうか。

≪ 追 記 ≫
 先年、戸谷清一先生におたずねしたいことがあって、初めてお手紙をさしあげましたところ、お身体がご不調の中にもかかわらず、ご親切に種々ご指導くださいました。
 その折に、いただいたヒントから、まとめてみましたので、誠に不勉強で汗顔のいたりですが投稿させていただきました。
 戸谷清一先生に誌上ではありますが、あらためてお礼申し上げます。

「珠算史研究」第54号(平成21年6月30日)所載 
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「命数法」について

命数法について
村上 耕一

朝日新聞(平成19年9月25日・大阪版・夕刊)に,「340澗の衝撃」と題して,次のようなコラムがあった.
 ……略…… インターネットの世界には,パソコンやルーターなど機器の「住所」に当る「IPアドレス」という番号がある.今後,その数が爆発的に増え,「澗(10の36乗)」という単位のお世話になるようになる.住所の数は現行のインターネットプロトコル(IP)「V4」で約43億個だが,次世代の「V6」では「340澗」.1兆人が毎日1兆個ずつ使っても,1兆年近くかかる計算だ.V6は徐々に使われ始めているが,本格普及は2010年ごろからだ.……略……

 「澗」という大きい命数が,身近に実数として新聞に取り上げられたのは,大変めずらしいことで驚いた.しかし,それにも況して,私の知らない(?)ところで,日々想像を絶する進化を,し続けている「ITの世界」を垣間見て,今更ながら驚嘆した.
日本の数詞(整数)はご存知のように,「一,十,百,千,万,億,兆,京,垓,柹杼,穣,溝,澗,正,載,極,恒河沙,阿僧祇,那由他,不可思議,無量大数」である.
この「命数」は,奈良時代前後に「九九」などとともに,中国から移入されたらしいが,その内容は確立されてはいなかったようである.
 
 中国でも,『数術記遺』(二世紀徐岳の撰,六世紀甄鸞の註) によれば,「数に十等(億・兆・京・垓・柹杼・壌・溝・澗・正・載)あり,その用法に上中下の三通りある.下数(十ごとに変える),中数(万万で変える),上数(数が窮まれば変える)」とある.
 『孫子算経』(刊年不詳・三世紀末には存在?)や『算学啓蒙』(朱世傑著・1299年),それに『算法統宗』(程大位著・1593年)は,いずれも「万万曰億,万万億曰兆……」とあり,「盤珠算法」(徐氏心魯訂正,熊氏台南刊行・1573年)では「十億曰兆」とあって,どの説を採るかによって値が異なり,正確にはわからないといえる.
 それが日本に伝わって,やはり,『口遊』(源為憲著,天禄元・970年)には「十億曰兆」とあるが,鎌倉時代の『伊呂波字類抄』(橘忠兼著・1181年までに成立)では,「万億を兆と為す」と記されているのである.

 わが国で,確立した「命数」を掲げたのは,『塵劫記』(吉田光由著)からといわれ,その後の命数の基準として扱われてきた.
ところが,その『塵劫記』からしても初版(寛永四・1627年)においては,大数(おおかず)としては,「極までは十進法」で,その後「万万極を恒河沙という……」となっており.刊行年によって異なる.現在のような「万進法」になるのは,寛永十一年版からである.
 なお,岩波文庫『塵劫記』(大矢真一校注)に,最上位の「無量大数」について,
 「『塵劫記』寛永四年版および初期の版には『無量大数』は,一数であるが,後に無量と大数の間にキズのある版があり,そのキズが次第に成長して,ついに『無量』と『大数』の二数となった」という記述がある.

 つぎに,「小数(こかず)」の方であるが.吉田光由が『塵劫記』作成の手本にもしたと思われる『盤珠算法』にならってか,『塵劫記』には「両・文・分・厘・毛・糸・忽・微・繊・沙・塵・埃」までが掲げられている.
 その下位の「渺・漠・糢糊・逡巡・須臾・瞬息・弾指・刹那・六徳・虚*空*清*浄」については,『算法統宗』には見えるのであるが,そのいくつかの版を見てみても「虚*空*清*浄」のあたりがハッキリしない.
 また,『算学啓蒙』では,「万万塵を沙と曰……万万浄曰清・千万浄・百万浄・十万浄・万浄・千浄・百浄・十浄・一浄」となっていて,大数と同じように説が分かれている.
 ところが,『塵劫記』に続く和算書では,「漠」まで記載されているのがほとんどで,それより下位が見られるのは稀である.
 数少ない私の資料によるが,『数学端記』(田中佳政著,享保二・1717年)と『算法大成』(理明算法を改題,刊年不詳)があって,どちらも「漠・糢糊(算法大成は,糢・糊)・逡巡・須臾・瞬息・弾指・刹那・六徳・虚・空・清・浄」とある.
 他には,浪速天満宮に奉納した算額をめぐって,師弟が論争し「二田の争い」と語りつたえられる,武田真元と福田理軒の著書に記されてはいる.
 武田真元の『真元算法』(天保十五・1844年)には,「厘・毛・絲・忽・微・籤(?)・沙・塵・埃・渺・漠(?) 右之外 糢糊・逡巡・弾指・刹那・六徳・虚・虚(ママ)・清浄 之名あり」とあって「須臾・瞬息」が抜けており,2つ目の虚には「くう」と仮名が振ってある.清浄は二字で一数として扱い「せうせう」と振り仮名をつけている.
 その武田真元の弟子である,福田理軒の『明治塵劫記大全』(明治十一・1878年)には,「分・釐・毫・絲・忽・微・繊・沙・塵・埃・渺・漠・以上摸糊・逡巡・須臾等ありて際限なく皆仏説に出るなり 凡そ少数の極を空と為り 多数の極を虚と為り 其極に至てはおのおの視目の及ぶべきにあらず 又数理精薀には毫の次に拂(ほつ・弗ではないか?)と記せり 因て暦書などにはまま拂の字を用ゆ」とある.
 また前記の『算法大成』には,「暦象考成 下編では,前後間違って使っている」と指摘している.その頃も「見間違いや写し間違い」が見つかっていたが,そのまま伝わっていることがあるようだ.とにかく,日頃使用することがないので,いかにもいい加減で適当に扱っていることがうかがえる.
 なお余談ではあるが,大阪珠算界の会派として伝統を誇る「大阪競算会(会長 堀尾健治郎)」は,その祖を麻田剛立とする「和算の麻田派」で,「麻田剛立→坂正永→村井求林→武田真元→福田復・泉(理軒)→岸本増弘→津田善二郎(大阪競算会)」といわれている.

 ソロバン塾などで,小学生にこの命数を覚えさせると,興味を持って覚えてくれる.また,その歌もあってNHK教育テレビ「にほんごであそぼ」でときどき流れている.
 整数(大数)については,「 一,十,百,千,万,…… 無量大数」で確定しているとみてよいと思うが.問題は「小数」の方であって,最後の「虚・空・清・浄」か「虚空・清浄」かについてである.
 手許の辞書などで調べてみた.「虚・空・清・浄」派としては,『単位の辞典』『商用単位事典』『日本を知る事典』『東西珠算物語』『数学通になる本』などで.「虚空・清浄」派としては,『広辞苑(第五版付録)』『塵劫記(岩波書店)』『数の世界雑学事典』『日本人の数学感覚』などがあり.両方を載せているのが,『家庭の算数・数学百科』である.
 
 このように,日本の数詞であって,誤答を許さない数学の世界の根本的な事柄であるのにもかかわらず,いかに普段使用しないとはいえ,現在のように曖昧なままでよいのであろうか.
 小学生から「どちらが正しいのですか?」と質問されて,「どちらかわからない」とか,「どちらでもよい」という答え方でよいのであろうか.
 数学の他の団体にもはたらきかけ,どちらかに決定して,その上で文部科学省が認定するなどにより,確定していただくことを,節に望んでいる.
 もっとも,わが国は「国名」にしても,「ニホン」か「ニッポン」かも,ハッキリしない国柄ではあるが…?
 
『数学文化』第11号(2008.12)所載
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